福島大特任助教 深谷直弘さん(37) 避けてきた“原点”へ 「関わった責任」を果たす
長崎原爆の被爆体験継承や原爆投下後の歴史、市街の復興といったテーマで、社会学や文化論の立場から調査研究を進める30~40代の研究者たちがいる。73年前の「原爆」にどんな関心を抱き、何を明らかにしようとしているのか。先人の研究のバトンを受け取り、新たな成果を後世につなぐことができるのか。4人の若手研究者を見つめた。
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東日本大震災発生直後の2011年4月、福島大(福島市)が設立した「うつくしまふくしま未来支援センター」。特任助教の深谷直弘さん(37)に案内された一室で、赤と黒の二つのランドセルが目に留まった。「原発事故で突然全町避難になった町の小学校に置き去りにされていたものなんです」
福島県は、震災と福島第1原発事故に関する資料の展示、活用を目指し17~19年度、同センターに資料収集を委託。深谷さんらは、小学校校舎が解体される直前の17年6月、ランドセルなど遺された品を収集した。原発事故被害を後世に伝える大事な資料だ。
北海道出身。法政大(東京)で社会学を専攻。被爆体験を持たない世代による長崎での継承活動などを探った研究論文で、15年度に博士号を取得した。「長崎で70年以上続く被爆体験継承の実践を、震災と原発事故で被災した福島にフィードバックできるのではないだろうか」。そう考え、3年間限定で現職に就いた。
並行して長崎原爆に関する調査も継続している。だが、実は継承の原点である被爆体験の聞き取りを本格的には手掛けてこなかった。被爆地に縁もゆかりもなく、もちろん戦争の記憶もない。被爆者と正面から向き合うことを「避けてきた部分があった」という。
葛藤や迷いは常にあるが、今実感しているのは「被爆者の体験を直接聞ける、本当に最後の最後の時期に差し掛かっている」ということ。研究者の責任感と切実な危機感に背中を押され、今夏、被爆体験の聞き取りに長崎で着手した。
社会学は、社会現象の実態や成り立ちを明らかにする学問だ。2004年に執筆した大学の卒業論文で、「ナショナリズム」をテーマに選択。自身を含めて、日本人の多くが肯定する「反核平和」の意識に関心を抱いた。
大学院進学後、「反核平和の意識はどう形作られるのか」をテーマに、被爆地での調査を開始。初めは広島と長崎の間で比較研究を試みたが、やがて長崎に的を絞り、06~14年にわたって調査。被爆者が高齢化、減少する中、痕跡から実相を伝える「物」(被爆遺構)と、被爆体験を語り継いでいる「人」(原爆の記憶が薄い若年被爆者や非体験者)の両面から継承の実態を探り、博士論文は「長崎における記憶の継承実践を多層的に記述した」と評価された。
だが、厳しい指摘もあった。「継承の焦点となるべき『体験』の重要性が相対的に軽視されている」
長崎原爆の調査を本格化させたころ、東京で何度か被爆者の体験を直接聞いた。しかし、文献などで既に知っていた話が多く、長崎では非体験者を調査の中心に選んだ。ただ継承をテーマにしながら“原点”を追求していないことに「これでいいのか」との迷いは常にあった。
北海道で生まれ育ち「長崎や原爆には何の縁もなかった」。ただ小学校低学年のころ、アニメ「はだしのゲン」を見て、そのむごさに大泣きした記憶がある。「原爆」に触れた原体験だが、それは被爆体験に対峙(たいじ)することを避けた遠因だったかもしれない。
論文審査では、次の段階として、被爆者自身の体験や、被爆者の家族への継承についての調査研究に取り組むと述べた。今後は、被爆者を基点に継承の実態の研究をさらに深めるとともに、被爆者の戦後生活史も調査する考えだ。
長崎を初めて訪れてから10年以上がたつ。この間、被爆地長崎で被爆者運動をリードした山口仙二さん、谷口稜曄(すみてる)さんらが相次いでこの世を去り、被爆者に直接体験を聞ける最後の時期だとあらためて実感した。「原爆の、生活や社会に対する影響を、その時代時代に問い続ける役割が社会科学者にはある」。原爆投下から70年以上たった今、正面から向き合う決心は、先達がつないだ研究のバトンをしっかりと受け取るという覚悟でもある。
今月上旬、約1年ぶりに訪れた長崎市で被爆者に話を聞き、新たな一歩を踏み出した。これから何度も会う必要がある。これまでに調査した対象者の追跡も続けたい。「関わった人間の責任として、原爆の研究をやめてはいけないと思っている」
◎著作紹介
「原爆の記憶を継承する実践-長崎の被爆遺構保存と平和活動の社会学的考察」(新曜社刊)は、深谷直弘さんが2015年度にまとめた博士論文に加筆修正し、18年3月出版した。長崎における被爆遺構の保存や平和活動を調査し、継承の実践について考えている。
序章、終章を含め9章構成。前半の第1部は「長崎の被爆遺構の保存と解体」がテーマ。一部保存が実現した市立城山小と、解体後の跡地施設にメモリアルホールが整備された旧新興善小の二つの被爆校舎保存運動を比較検討。長崎は「広島の原爆ドームのように原爆を象徴する唯一の建造物がない」ものの、日常生活に根付いた「記憶の場」があると評価している。
第2部「継承実践としての平和活動」は、市民ボランティア「平和案内人」と高校生1万人署名活動を取材。原爆の記憶が刻まれた長崎で、直接の被爆体験がない人々が積極的な継承者になる過程や可能性について論じている。
被爆者が高齢化、減少する中での、長崎の被爆体験継承を巡る論点や歴史を俯瞰(ふかん)する内容ともなっている。247ページ、3780円。