制限水域 魚いるが漁できず
漁船に掲げられた看板に英語で「ウエルカム」の文字が躍る。米原子力空母エンタープライズが佐世保に寄港した1968年1月19日、佐世保港内の漁業者が海上パレードで歓迎した。
一部には寄港に反対する動きもあった。しかしベテラン漁業者の男性は漁協の組合長から「反対してくれるな」と求められたと記憶する。「原子力がどういうものか分からんかったし『組合長が言いよるけん』と(反対の)誘いを断った」。地元の自民党や経済団体は「安保を守る市民協議会」を結成。「漁協としても反対しなかったのだろう」と推察する。
その4カ月後、市民に衝撃を与える出来事が起きる。5月に米原子力潜水艦ソードフィッシュが寄港した際の放射能測定調査で、周辺海域で平常値の10~20倍の数値を測定。国内で初めて佐世保に寄港した64年の米原潜シードラゴン以降、“原潜慣れ”が叫ばれていたが、市民は不安を募らせ、魚は売れなくなった。
原因を巡り日米双方の見解は食い違いを見せ、解明に至らなかった。ただ原子炉の一次冷却水を寄港時は原則として艦外に放出しないことなどで合意。国は監視体制を強化し、12月には米原潜が再び寄港した。
漁協は国に補償を求めたが、要求額の2割強を“見舞金”として支払う形で決着。男性は「当時は秋口から冬場にかけ大村湾で漁ができていたこともあり、国が決めたことに反対しても仕方がないという雰囲気だった」と振り返る。
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原潜が相次いで寄港する現状についても「仕方がない」と言う男性だが、「制限水域内で漁ができるようにしてほしい」と嘆く。
佐世保港区水域(約34平方キロ)のうち、米軍の使用を優先する制限水域は8割超を占める。A~Dまで四つに区分され、最も厳しいA水域は米軍施設から50メートル以内で許可のない立ち入りを禁止している。その周辺のB水域も漁はできない。
国は佐世保市、佐世保市南部、針尾(以上佐世保市)、瀬川(西海市)の港内4漁協の対象漁業者に漁業補償をしており、2015年度は総額約1億6千万円を支払った。だが男性は「1日分はたばこ代にもならない」とため息を漏らす。市も制限水域の全面返還を国に求めるが、思うように進んでいない。「魚がいると分かっているのに何もできん。自分たちの海とにね」。男性は目の前の海を見詰め、寂しげに笑った。