九州文化学園高(佐世保市)女子バレーボール部を15度の日本一に導いた井上博明(いのうえ・ひろあき)氏=現長崎県立西彼杵高女子バレー部監督=が26日午前2時11分、下咽頭がんのため佐世保市内の病院で死去した。67歳。南島原市(旧南高有家町)出身。通夜は28日午後6時から、告別式は29日午前11時から、いずれも佐世保市元町1の15、元町メモリードホールで。喪主は妻の由美子(ゆみこ)さん。
福岡大大濠高から日体大に進み、卒業後の1980年に体育科教諭として九州文化学園高に赴任。バレー部の指導を始め、89年四国インターハイで初優勝を飾った。以降、全国高校主要大会で15度の日本一を達成。高校サッカーで17度の全国優勝を成し遂げた故小嶺忠敏氏とともに、県スポーツ界をけん引してきた。2007年に佐世保市民栄誉賞を受賞。
04年には春高バレー、インターハイ、国体(現国スポ)の高校3冠を獲得。当時の主将で実業団の東レ(現東レ滋賀)に進んだ高田ありささんをはじめ、久光製薬(現SAGA久光)などで活躍した満永ひとみさん、21年東京五輪に出場したJT(現大阪M)の小幡真子さん、大阪M現主将の田中瑞稀選手ら、多くの日本代表を育成した。
九州文化学園高を定年退職後の23年春、西海市のスポーツ専門指導員として西彼杵高の監督に就任。昨季は入退院を繰り返しながらも、可能な限り現場で指導を続け、インターハイと国スポで全国8強に導いていた。
福岡大大濠高から日体大に進み、卒業後の1980年に体育科教諭として九州文化学園高に赴任。バレー部の指導を始め、89年四国インターハイで初優勝を飾った。以降、全国高校主要大会で15度の日本一を達成。高校サッカーで17度の全国優勝を成し遂げた故小嶺忠敏氏とともに、県スポーツ界をけん引してきた。2007年に佐世保市民栄誉賞を受賞。
04年には春高バレー、インターハイ、国体(現国スポ)の高校3冠を獲得。当時の主将で実業団の東レ(現東レ滋賀)に進んだ高田ありささんをはじめ、久光製薬(現SAGA久光)などで活躍した満永ひとみさん、21年東京五輪に出場したJT(現大阪M)の小幡真子さん、大阪M現主将の田中瑞稀選手ら、多くの日本代表を育成した。
九州文化学園高を定年退職後の23年春、西海市のスポーツ専門指導員として西彼杵高の監督に就任。昨季は入退院を繰り返しながらも、可能な限り現場で指導を続け、インターハイと国スポで全国8強に導いていた。