諫早大水害の記憶と教訓を伝える「第15回諫早大水害を語り継ぐ 7月25日を忘れない」が20日、諫早市の諫早駅再開発ビル「イーサ」交流広場で開かれ、体験者の話などを通じて参加者が災害への備えについて考えた。
合併町を含む市内で630人の死者・行方不明者を出した1957年の大水害から25日で67年になるのに合わせ、市民グループ「本明川を語る会」(川浪良次会長)が開いた。
宮﨑清彰さん(78)=永昌東町=、大渕公子さん(84)=八天町=が登壇。司会の大学生や自身も大水害を経験したコーディネーターを交え、宮﨑さんは稲光の中、人が濁流に流されていった恐怖の一夜を、大渕さんは土石流に襲われながら九死に一生を得たことなどを語った。
大水害の体験を踏まえ、宮﨑さんは「(危険が迫ったときは避難を促す)町内での声かけが大切。冠水して水が上がってきたら、高い場所に逃げる意識を持ってほしい」。大渕さんは「(状況が落ち着くまで)油断せずにわが身を守ってほしい」と呼びかけた。
文部科学省の学校安全総合支援事業で県教委から拠点校指定を受け、防災について学んでいる県立諫早東高の生徒たちは取り組んだ感想などを発表。川浪会長はあいさつで「(記憶と教訓を)後世に語り継ぐことが(今を生きる)私たちの使命。自分の命は自分で守る避難行動に結び付けてほしい」と求めた。
合併町を含む市内で630人の死者・行方不明者を出した1957年の大水害から25日で67年になるのに合わせ、市民グループ「本明川を語る会」(川浪良次会長)が開いた。
宮﨑清彰さん(78)=永昌東町=、大渕公子さん(84)=八天町=が登壇。司会の大学生や自身も大水害を経験したコーディネーターを交え、宮﨑さんは稲光の中、人が濁流に流されていった恐怖の一夜を、大渕さんは土石流に襲われながら九死に一生を得たことなどを語った。
大水害の体験を踏まえ、宮﨑さんは「(危険が迫ったときは避難を促す)町内での声かけが大切。冠水して水が上がってきたら、高い場所に逃げる意識を持ってほしい」。大渕さんは「(状況が落ち着くまで)油断せずにわが身を守ってほしい」と呼びかけた。
文部科学省の学校安全総合支援事業で県教委から拠点校指定を受け、防災について学んでいる県立諫早東高の生徒たちは取り組んだ感想などを発表。川浪会長はあいさつで「(記憶と教訓を)後世に語り継ぐことが(今を生きる)私たちの使命。自分の命は自分で守る避難行動に結び付けてほしい」と求めた。