長崎県の短歌界を長年リードし、結社の枠を超えた短歌誌「あすなろ」を代表として支えてきた長崎市の歌人、上川原紀人(かみかわはら・のりと)さんが25日午前8時25分、長崎市内の病院で死去した。95歳。鹿児島県出身。自宅は長崎市上戸町。通夜は26日午後6時から、告別式は27日午後2時から、長崎市光町7の1、メモリード典礼会館で。喪主は長男正紀(まさのり)さん。
10代の頃から短歌に本格的に取り組み、1972年に短歌結社「水甕(みずがめ)」の長崎支社代表となった。全国規模の結社が多数分立している短歌界で、歌人が主義主張を超えて自由に鍛え合う場をつくろうと、73年に長崎市で「あすなろ」を創刊。現在まで多くの歌人を育て、長崎県短歌界の振興と底辺拡大に尽力。91年から3期6年、長崎歌人会の会長を務めた。
全国最大の短歌団体、日本歌人クラブの九州ブロック長も務め、2010年には同クラブ顧問に、会長未経験ながら異例の抜てき就任。それらの活躍が広く評価され、04年には県民表彰、11年には長崎新聞文化章を受章した。
歌集に「原色の過程」「風花」。今年3月発行の「あすなろ」207号には、題詠「野菜」で「唐黍の葉をゆする程の風ありてこの夕まぐれ蜩は鳴く」を詠んだ。
10代の頃から短歌に本格的に取り組み、1972年に短歌結社「水甕(みずがめ)」の長崎支社代表となった。全国規模の結社が多数分立している短歌界で、歌人が主義主張を超えて自由に鍛え合う場をつくろうと、73年に長崎市で「あすなろ」を創刊。現在まで多くの歌人を育て、長崎県短歌界の振興と底辺拡大に尽力。91年から3期6年、長崎歌人会の会長を務めた。
全国最大の短歌団体、日本歌人クラブの九州ブロック長も務め、2010年には同クラブ顧問に、会長未経験ながら異例の抜てき就任。それらの活躍が広く評価され、04年には県民表彰、11年には長崎新聞文化章を受章した。
歌集に「原色の過程」「風花」。今年3月発行の「あすなろ」207号には、題詠「野菜」で「唐黍の葉をゆする程の風ありてこの夕まぐれ蜩は鳴く」を詠んだ。