連載「まちを楽しく~縮むながさき 長崎市・斜面地編」の総まとめとして、取材に協力してくれた7組のうち4人に集まってもらい、「長崎“斜(しゃ)”ミット」と銘打って座談会を開催。長崎港を望む長崎市南山手町のシェアハウス・コミュニティースペース「つくる邸」を会場に、長崎の斜面地の魅力や未来について語り合ってもらった。
出席者は▽ギャラリーカフェ「燈家(あかりや)」の赤坂伸子さん(61)▽長崎都市・景観研究所所長の平山広孝さん(39)▽長崎サウナかめやま広報担当の上田雛子さん(34)▽斜面地・空き家活用団体つくる代表の岩本諭さん(34)-の4人。長崎大の石橋知也准教授(都市形成史)にコーディネーターをお願いした。
主なやりとりは次の通り。=以下敬称略=
◆30年後を語ろう
石橋 30年後の長崎の斜面地がどうなったらいいか、どうなっていたいか。
上田 長崎に住んでいたら当たり前の景色だが、県外の友達から「山に家が生えてる」と言われ、これがすごく珍しい景色で、きれいな夜景を生んでいると気付いた。それで高校の同級生らと目指したのが、夜景を見ながら「整える」サウナだった。まちなかにすぐ行けて、高台だから空気がきれいというのも大きな価値。そういう価値に気付く人が増えてほしい。
岩本 モビリティー(乗り物)の変化、空飛ぶクルマみたいなものが出てきたら、アクセスはネックではなくなるかも。住み方や働き方も変わってきている。2拠点居住的な形で別荘的に使い、東京に住んでいるが長崎に1カ月だけいるとか、関係人口みたいな感じの人が過ごせる場所になっていけば。まちなかのマンションは若い人がなかなか住めない金額になっているので、まちなかに近くて、住宅の購入費用や家賃が比較的抑えられる斜面地で自然を感じながら暮らそうという形になっていけば。
赤坂 私たちが住まなくなった時に、誰かがお店や暮らしができるように家を最低限維持しようと、引っ越した時から思っている。人が住まないと家はどんどん悪くなってしまう。長崎は夜景がきれいと言うが、人が住む家があるからこそ。道路に街灯をたくさん付ければ、夜景を維持できるかというと、そうではないだろう。生活の中で電気をつけたり消したりするのが、きらめきになっていく。住む人がいなくなると真っ暗な長崎になってしまう。若い人たちが斜面地で暮らせる要素を考えていってもらいたい。
平山 人が減るのは間違いない。人が減ると家が間引かれていく。空き地ができると1人当たりの占有面積を増やすことができる。空き家を手に入れ、その横の土地も一緒に取得できれば、まちなかのマンションではできない暮らしができる。自然と共生する暮らしをまちなかから近いところで享受できるようになる。このコントラストが長崎の価値になっていくのでは。(デジタル技術を活用して業務効率化を図る)デジタルトランスフォーメーション(DX)で通勤の概念がなくなるかもしれない。脱炭素化の必要性もより高まっていくだろう。斜面地で収穫した作物がまちに流通するといった循環がつくれると(輸送コストの削減など)脱炭素化につながる。
◆四つの「間」
石橋 地域づくり、まちづくりには「時間」「空間」「人間(仲間)」「手間」の四つの「間」が大事だという意見がある。
平山 手間を買ってでも畑仕事を手伝いたいという人たちがいる。得難い経験なのだろう。草刈りなど人として根源的な動き、労働だが、誰かと一緒に作業に汗を流すことで生きていると実感できるのだろう。そういう場を求めているのではないか。
上田 施設整備を自分たちで草刈りから始めたが、地域の人たちが協力してくれ、つながりが生まれた。大変だったが、すがすがしい気持ちになった。「手間をかけてこそ」ということにすごく共感する。
赤坂 歩いて来店するお客さんもいる。「汗だくになったけど、途中に猫はいるし、古い家はあるし、面白かった」と言ってくれる。わざわざ時間を使う、そういう過ごし方も人としては必要だと思う。
岩本 斜面地のいいところは適度に田舎で、適度に都会。まちなかに行こうと思えば行ける距離だが、手間をかけないといけない場所がたくさんある。その距離感みたいなのがすごくいいバランスで斜面地の価値になっていると思う。
石橋 空き地ができるということは、実は空間ができ、それこそ間ができる。その間にどう手を入れていくか。今言われている社会的な課題も、むしろ課題ではなく、潜在的に持つポテンシャルや価値だと思う。斜面地を議論することから、暮らしや生きることの本質が見え隠れすると感じた。
出席者は▽ギャラリーカフェ「燈家(あかりや)」の赤坂伸子さん(61)▽長崎都市・景観研究所所長の平山広孝さん(39)▽長崎サウナかめやま広報担当の上田雛子さん(34)▽斜面地・空き家活用団体つくる代表の岩本諭さん(34)-の4人。長崎大の石橋知也准教授(都市形成史)にコーディネーターをお願いした。
主なやりとりは次の通り。=以下敬称略=
◆30年後を語ろう
石橋 30年後の長崎の斜面地がどうなったらいいか、どうなっていたいか。
上田 長崎に住んでいたら当たり前の景色だが、県外の友達から「山に家が生えてる」と言われ、これがすごく珍しい景色で、きれいな夜景を生んでいると気付いた。それで高校の同級生らと目指したのが、夜景を見ながら「整える」サウナだった。まちなかにすぐ行けて、高台だから空気がきれいというのも大きな価値。そういう価値に気付く人が増えてほしい。
岩本 モビリティー(乗り物)の変化、空飛ぶクルマみたいなものが出てきたら、アクセスはネックではなくなるかも。住み方や働き方も変わってきている。2拠点居住的な形で別荘的に使い、東京に住んでいるが長崎に1カ月だけいるとか、関係人口みたいな感じの人が過ごせる場所になっていけば。まちなかのマンションは若い人がなかなか住めない金額になっているので、まちなかに近くて、住宅の購入費用や家賃が比較的抑えられる斜面地で自然を感じながら暮らそうという形になっていけば。
赤坂 私たちが住まなくなった時に、誰かがお店や暮らしができるように家を最低限維持しようと、引っ越した時から思っている。人が住まないと家はどんどん悪くなってしまう。長崎は夜景がきれいと言うが、人が住む家があるからこそ。道路に街灯をたくさん付ければ、夜景を維持できるかというと、そうではないだろう。生活の中で電気をつけたり消したりするのが、きらめきになっていく。住む人がいなくなると真っ暗な長崎になってしまう。若い人たちが斜面地で暮らせる要素を考えていってもらいたい。
平山 人が減るのは間違いない。人が減ると家が間引かれていく。空き地ができると1人当たりの占有面積を増やすことができる。空き家を手に入れ、その横の土地も一緒に取得できれば、まちなかのマンションではできない暮らしができる。自然と共生する暮らしをまちなかから近いところで享受できるようになる。このコントラストが長崎の価値になっていくのでは。(デジタル技術を活用して業務効率化を図る)デジタルトランスフォーメーション(DX)で通勤の概念がなくなるかもしれない。脱炭素化の必要性もより高まっていくだろう。斜面地で収穫した作物がまちに流通するといった循環がつくれると(輸送コストの削減など)脱炭素化につながる。
◆四つの「間」
石橋 地域づくり、まちづくりには「時間」「空間」「人間(仲間)」「手間」の四つの「間」が大事だという意見がある。
平山 手間を買ってでも畑仕事を手伝いたいという人たちがいる。得難い経験なのだろう。草刈りなど人として根源的な動き、労働だが、誰かと一緒に作業に汗を流すことで生きていると実感できるのだろう。そういう場を求めているのではないか。
上田 施設整備を自分たちで草刈りから始めたが、地域の人たちが協力してくれ、つながりが生まれた。大変だったが、すがすがしい気持ちになった。「手間をかけてこそ」ということにすごく共感する。
赤坂 歩いて来店するお客さんもいる。「汗だくになったけど、途中に猫はいるし、古い家はあるし、面白かった」と言ってくれる。わざわざ時間を使う、そういう過ごし方も人としては必要だと思う。
岩本 斜面地のいいところは適度に田舎で、適度に都会。まちなかに行こうと思えば行ける距離だが、手間をかけないといけない場所がたくさんある。その距離感みたいなのがすごくいいバランスで斜面地の価値になっていると思う。
石橋 空き地ができるということは、実は空間ができ、それこそ間ができる。その間にどう手を入れていくか。今言われている社会的な課題も、むしろ課題ではなく、潜在的に持つポテンシャルや価値だと思う。斜面地を議論することから、暮らしや生きることの本質が見え隠れすると感じた。