平戸の「意野家伝来挟み尺・曲尺」 長崎県の文化財に…伊能忠敬の測量で松浦家入手か

2024/10/08 [11:15] 公開

上から曲尺、挟み尺(小)、挟み尺(大)(県教委提供)

上から曲尺、挟み尺(小)、挟み尺(大)(県教委提供)

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長崎県教委は3日、「意野家(こころのけ)伝来挟み尺(かね)・曲尺(まがりかね)」(平戸市)を新たに県文化財に指定した。同市の個人所有で、明治時代の度量衡改正の基礎となった江戸時代後期の尺度を示す新たな資料として、県文化財保護審議会(宮﨑賢太郎会長)が指定を答申していた。
 県教委によると、挟み尺の大(全長190ミリ)と小(同134ミリ)、曲尺(同196ミリ)の計3点で、いずれも真ちゅう製。道具入れの箱書きなどから1842(天保13)年、平戸藩御用大工、意野曲尺助(かねすけ)が10代藩主松浦煕(ひろむ)から下賜されたことが分かっている。
 挟み尺(大)は、江戸時代に日本地図を作った伊能忠敬が測量に使用したとされる尺度「折衷尺(せっちゅうじゃく)」(一寸=30・3ミリ)を採用。目盛りの付け方から、忠敬の道具を手がけた大野規行が製作したとみられる。
 挟み尺(小)と曲尺は「折衷尺」より前に使われていた尺度「又四郎尺」(一寸=30・24ミリ)を採用。規行の子、規周の作を示す刻印が入っている。
 1875(明治8)年に制定された度量衡取締条例は「折衷尺」を基準として3・3尺が1メートルと定められ、「又四郎尺」も改正の参考とされた。
 いずれの道具も忠敬による平戸藩領の測量(1812~13年)などをきっかけに松浦家が入手したと推測され、同藩の先進性もうかがえると評価された。同市文化交流課は「学術的な価値が認められ喜ばしい。所有者と相談し、一般公開できれば」としている。
 今回の指定で県文化財は399件(うち有形文化財の美術工芸品127件)になった。3月に400件に達していたが、その後、死去や国重要文化財への指定で2件減少していた。