観客席をぐるりと覆うテント膜の屋根が、いつもより大きな声援を受け止めてピッチへ弾き返す。ホームチームを後押しするように。新たな門出を祝うように。
午後4時、長い笛が終わりの時を告げる。2013年、V・ファーレン長崎のJリーグ初年度から共に歩んできた本拠地トランスコスモススタジアム長崎が、その役目を全うした。
開催したリーグ戦は240試合を数える。訪れた人の数は延べ150万。新型コロナの流行で観客が入れなかった夜も、選手をスポットライトで照らした。ここで数々の歴史が紡がれた。
18年に長崎でプロ生活を始めた米田は「トラスタは夢の舞台だった」と話す。ここで活躍する姿を日々願い続けてクラブを代表する選手へと成長を遂げた。
雲仙市の60代女性は十数年来のサポーター。コアなファンが集うゴール裏の席がお気に入りだった。「選手や他のお客さんと一つになれるから」。体の内側に響く太鼓の音、大型ビジョンの奥に広がる空が好きだった。
スタジアムの歴史はクラブよりずっと長い。1969年の1巡目長崎国体を機に県立総合運動公園陸上競技場として誕生したのが始まりだ。以来、改修を重ねて現在に至る。青々と茂った天然芝でプレーすることが、地元サッカー人の憧れだった。
「ここは国見高校で3年間を過ごした思い出の地です」
2019年8月。東京Vの監督に就任したばかりだった永井秀樹氏が試合後の会見で一瞬、少年に戻ったような顔を見せたことがある。
昔も今も、高校サッカーの全国切符を懸けた大事な一戦はこのピッチと決まっている。夢をつかんだ選手たちが全国へ、世界へと羽ばたいていった。ロッカールームには彼らの汗と涙と青春が染み込む。これからもきっと、トラスタは子どもたちのキラキラした思いを包み込む聖地のような場所であり続けるはずだ。
最後の90分。本拠地で2カ月以上白星がなかったV長崎は、2ゴールと無失点で惜別の勝利を挙げた。選手も、客席の人々もなかなか引き揚げない。選手、スタッフは円陣を組んで余韻を味わった。あるサポーターは歌い、涙を流しながら別れを惜しんだ。
キックオフ目前までの雨予報が一転、晴れ間が広がっていた。白い屋根が青い空によく映えた。
午後4時、長い笛が終わりの時を告げる。2013年、V・ファーレン長崎のJリーグ初年度から共に歩んできた本拠地トランスコスモススタジアム長崎が、その役目を全うした。
開催したリーグ戦は240試合を数える。訪れた人の数は延べ150万。新型コロナの流行で観客が入れなかった夜も、選手をスポットライトで照らした。ここで数々の歴史が紡がれた。
18年に長崎でプロ生活を始めた米田は「トラスタは夢の舞台だった」と話す。ここで活躍する姿を日々願い続けてクラブを代表する選手へと成長を遂げた。
雲仙市の60代女性は十数年来のサポーター。コアなファンが集うゴール裏の席がお気に入りだった。「選手や他のお客さんと一つになれるから」。体の内側に響く太鼓の音、大型ビジョンの奥に広がる空が好きだった。
スタジアムの歴史はクラブよりずっと長い。1969年の1巡目長崎国体を機に県立総合運動公園陸上競技場として誕生したのが始まりだ。以来、改修を重ねて現在に至る。青々と茂った天然芝でプレーすることが、地元サッカー人の憧れだった。
「ここは国見高校で3年間を過ごした思い出の地です」
2019年8月。東京Vの監督に就任したばかりだった永井秀樹氏が試合後の会見で一瞬、少年に戻ったような顔を見せたことがある。
昔も今も、高校サッカーの全国切符を懸けた大事な一戦はこのピッチと決まっている。夢をつかんだ選手たちが全国へ、世界へと羽ばたいていった。ロッカールームには彼らの汗と涙と青春が染み込む。これからもきっと、トラスタは子どもたちのキラキラした思いを包み込む聖地のような場所であり続けるはずだ。
最後の90分。本拠地で2カ月以上白星がなかったV長崎は、2ゴールと無失点で惜別の勝利を挙げた。選手も、客席の人々もなかなか引き揚げない。選手、スタッフは円陣を組んで余韻を味わった。あるサポーターは歌い、涙を流しながら別れを惜しんだ。
キックオフ目前までの雨予報が一転、晴れ間が広がっていた。白い屋根が青い空によく映えた。