鎌倉時代の元寇(げんこう)で戦死した対馬の守護代、宗助国らをまつる長崎県対馬市厳原町の小茂田浜神社で9、10日、大祭があり、モンゴル(元)軍に命を奪われた犠牲者たちをしのんだ。
元軍は1回目の襲来「文永の役」で1274年10月、対馬西岸の佐須浦に攻め寄せた。助国はわずか80余騎で迎え打ったが、全滅したとされる。
今年は文永の役750年を記念し、9日の前夜祭で初めて「松明(たいまつ)行列」を実施。甲冑(かっちゅう)を身に着けた約50人の市民らがたいまつを手に「エイエイオー」と気勢を上げながら神社近辺を歩くと、前夜祭の来場者から歓声が上がっていた。
10日の本祭では、同神社の拝殿で、国選択無形民俗文化財の「命婦の舞」や地元出身の中高生らによる「浦安の舞」が奉納された。その後、神職が近くの浜で、元軍が攻めてきた西の海に向かって弓矢を構え、弦を鳴らす「鳴弦(めいげん)の儀」も行われた。
松明行列に参加した同市の公務員、針谷広己さん(29)は「元寇の時代にタイムスリップした気分。知らない人同士で行列を組むので、一体感が出て良い」と笑顔で語った。
元軍は1回目の襲来「文永の役」で1274年10月、対馬西岸の佐須浦に攻め寄せた。助国はわずか80余騎で迎え打ったが、全滅したとされる。
今年は文永の役750年を記念し、9日の前夜祭で初めて「松明(たいまつ)行列」を実施。甲冑(かっちゅう)を身に着けた約50人の市民らがたいまつを手に「エイエイオー」と気勢を上げながら神社近辺を歩くと、前夜祭の来場者から歓声が上がっていた。
10日の本祭では、同神社の拝殿で、国選択無形民俗文化財の「命婦の舞」や地元出身の中高生らによる「浦安の舞」が奉納された。その後、神職が近くの浜で、元軍が攻めてきた西の海に向かって弓矢を構え、弦を鳴らす「鳴弦(めいげん)の儀」も行われた。
松明行列に参加した同市の公務員、針谷広己さん(29)は「元寇の時代にタイムスリップした気分。知らない人同士で行列を組むので、一体感が出て良い」と笑顔で語った。