「誰そ彼」の用心を

長崎新聞 2024/09/26 [12:46] 公開

「たそがれ」は「誰(た)そ彼」だという。薄暗くなった時は、人の顔が見分けにくい。昔の人は行き会う人ごとに「誰だ、あれは?」と用心の目を凝らしたのだろう▲薄暮時(はくぼどき)の用心は、昔も今も必要らしい。6年前の警察庁のまとめだが、日没の前後1時間の事故件数は、昼間の1時間の件数の4倍に上るという▲道路横断中の事故が多い。夕暮れ時はドライバーの視界が悪くなり、歩行者に気付くのが遅れるとみられる。早めの点灯が欠かせまい▲〈挙げる手を やさしく見守る 横断歩道〉を合言葉に、秋の全国交通安全運動が30日まで続いている。優しいまなざしと「誰そ彼」の用心、その二つを携えようと、ハンドルを握る一人として胸に刻む▲歩行者にしてみれば、事故を防ぐ頼みの綱は反射材とされるが、ほかにも注意点があるらしい。先日の「声」欄に長崎市の古川千晴さんのご意見があった。日々、横断歩道がある片側1車線の道を通るが〈横断歩道ではないところを渡る人たちを毎日見る〉。ろくに確認せずに車道に出る人もいるという▲結びに〈歩行者も少しだけ時間的な余裕を持ち、横断歩道を渡ってほしい〉とある。夕暮れ時を古くは「逢(お)う魔が時」、魔物に出くわす時とも言った。運転する人も歩く人も心して、車が魔物と化すのを防ぎたい。(徹)