嫌った農業が今は「誇り」…長崎・五島の畜産家 島の恵み味わえるレストラン開業、新たな夢へ

長崎新聞 2025/04/21 [11:30] 公開

管理が行き届いた牛舎で牛の世話をする山口さん=五島市岐宿町、やまぐちファーム

管理が行き届いた牛舎で牛の世話をする山口さん=五島市岐宿町、やまぐちファーム

  • 管理が行き届いた牛舎で牛の世話をする山口さん=五島市岐宿町、やまぐちファーム
  • プレオープン前にスタッフと打ち合わせをする山口さん(中央)=五島市三尾野2丁目、「Restaurant 城ーJOー」
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広々とした田園が広がる長崎県五島市岐宿町・山内盆地。その一角にある「やまぐちファーム」で畜産業を営む山口伸太郎(40)が、きょうも牛舎で牛の世話に励む。「五島の食材を余すところなく味わえる場所をつくりたい」。繁殖から肥育、そして消費者への提供まで-。一貫した経営で五島牛や島の農産物の価値を高めたいという思いを胸に、山口は島全体を凝縮したような“食の体験拠点”の実現を目指している。

 山口は兼業農家に生まれ、県立諫早農業高、県立農業大学校園芸学科を卒業。農業の道を順調に歩んできたように見えるが、幼少期は農業への反発を抱えていた。「学校から帰るとすぐ農作業。遊ぶ時間なんてなかった」と振り返る。「農業はやらされるもので、自分の自由を奪うものだと思っていた」という。

 大学校卒業後は大型トラックの運転手として働き、2010年にJAごとうに就職。経営指導員として勤務していたが、17年、兼業で牛を世話していた父の病気を機に就農した。祖父母が中心に営んでいた施設園芸と、繁殖牛の飼育を引き継いだが、畜産に関する知識はほとんどなかった。

 そんな中、初めてお産に立ち会い、生まれたばかりの子牛を死なせてしまった。「『産後は初乳を飲むまでは目を離すな』という父の言葉を守らず、夜中に牛舎を離れたことが原因でした」。自責の念に駆られ、園芸作物をやめて18年、「二度と同じ過ちは繰り返さない」と畜産一本で生きていく道を決意。「子牛の死が人生を変えた」

 まず着手したのは、牛舎の環境改善だった。

 「一頭一頭、絶対に幸せに育てる」という信念のもと、徹底した清掃を実施。さらに温度管理システムも導入し、牛が快適に過ごせる空間づくりに取り組んだ。飼料にも徹底してこだわり、自家生産の良質な牧草をベースに、ミネラル豊富な配合飼料、そして島内から出るおからなどを組み合わせた循環型の飼料体系を確立した。

 「牛は人間の感情を敏感に感じ取る。だからこそ、愛情を込めて接するよう心がけている」。そうして育った子牛たちは、競り市場でも高い評価を得るようになった。2022、23年の五島市競り市場の年間で、高額販売されたとして2年連続で表彰された。

 「報われた」。そう語る山口が最も心を動かされたのは、子どもたちの変化だった。「お父さん、すごいね!」。かつて農業を嫌い、自宅が農家ということを隠していた自分が、今や子どもたちの誇りになっていた。長男は「将来の夢はお父さんのような牛飼いになること」と作文に書き、県内のコンクールで優秀賞を受賞。「作文を読んだとき、涙が止まらなかった」と話す。

 同市の畜産は、ほとんどが繁殖牛の生産に特化しており、育てた子牛は島外へ出荷される。その多くは他地域で「○○牛」として肥育され、「五島牛」として育てられるのは、JAごとうの肥育事業による約400頭ほど。ブランドとしての認知度はあるものの、「幻の牛」と称されるほど流通量が少ないのが現状だ。

 この課題を受け、JAごとうは24年度から個人農家による一貫経営の推進に着手。山口はその生産者の1人として名乗りを上げ、今年3月には新たに肥育牛舎を新設。繁殖牛約50頭に加え、肥育牛約30頭の飼育を本格的に開始している。

 こうした取り組みの延長にあるのが、「五島まるごとレストラン」構想だ。きっかけは観光客からの何げない一言だった。「五島の食材を全部楽しめるお店って、どこかにないの?」。魚、肉、それぞれには自信があるが、「全部」となると胸を張って案内できる場所がなかった。

 「誰かがやるのを待つより、自分でやろうと思いました」。農業を嫌っていた過去を越え、今や農業に誇りを持つ山口。「五島の大地が育んだ恵みを、まるごと味わえる場所を作りたい」。それが新たな夢となった。

 同市の中心部に、24日オープンする「Restaurant 城-JO-」は全14席の小規模な空間。提供されるのは、五島産の黒毛和牛、旬の野菜、自家産の米、地元の魚介や果物をふんだんに用いたフルコース。また、ファームの近くには精肉店とバーベキューが楽しめる施設も整備する予定だ。

 「五島の農産物のおいしさを島外に発信し、島の子どもたちが『五島っていいな』『島で農業をやってみたい』と、ふるさとに誇りを持ってくれたら」。そんな未来を思い描いている。