昨夏の全国高校野球選手権長崎大会。「主役」として躍動したのは、ノーシードから決勝に進んだ清峰のエース南和紀だった。1回戦から全6試合、741球を投げ抜いた背番号「1」。「あの時はたまたま調子が良かっただけ」。そう謙遜する18歳がきょう1日、仲間たちへの感謝と次のステージへの思いを胸に学びやを巣立つ。
母、真理子さんに「連れて行かれて」、相浦小1年で始めた野球。最初はやらされている感覚だったが、自然と楽しくなってきた。相浦中3年時に「高校でも野球を続けよう」と決意。障害者支援施設で調理師をしながら、1人で4人きょうだいを育ててくれた母の負担を減らすためにも、自ら公立校進学を決めた。
高校の練習は「楽しいよりもきつい方が上だった」。入江文和監督の熱心な指導の下、朝練習の800メートル走5本、冬季の階段ダッシュ…。「でも、小学校から続けてきた野球。今、やめたらもったいない」。甲子園を夢見て耐えた。結果、筋力、スタミナをはじめ、体力、体格が変わった。入学時は68キロだった体重は75キロまで増え、球速も132キロから143キロに上がった。
迎えた高校最後の夏。瓊浦、九州文化学園、長崎総合科学大付などの私立校を倒して、7年ぶりに決勝に進んだ。仲間たちの絶大な信頼を得た右腕が、チームを7年ぶりに決勝の舞台へ導いた。最後は創成館に敗れたが、この試合で自己最速の145キロをマーク。泣き言一つ言わずに、最後まで1人で投げ抜いた。
もちろん、悔しさは残っている。「でも、練習試合の結果とかを考えても、自分たちがあそこまで勝つと思っていなかった」。仲間たちと一緒に笑い、泣いた夏-。かけがえのない思い出だ。入江監督も「彼自身、思うような結果が出せずに苦しんできたが、集大成の舞台であの結果を出せたのは、3年間の彼の努力があったから」と最大級の賛辞を贈った。
卒業後は全日本大学選手権優勝の実績があり、九州地区大学北部九州ブロックで6季連続優勝中の日本文理大に進む。控えめで、大きなことを口にしないため「日本一」とか「プロ」とかいう言葉は出ない。唯一、目標に掲げたのは「150キロを投げる投手になりたい」。実現すれば、おのずと次への道は開かれていく。
母、真理子さんに「連れて行かれて」、相浦小1年で始めた野球。最初はやらされている感覚だったが、自然と楽しくなってきた。相浦中3年時に「高校でも野球を続けよう」と決意。障害者支援施設で調理師をしながら、1人で4人きょうだいを育ててくれた母の負担を減らすためにも、自ら公立校進学を決めた。
高校の練習は「楽しいよりもきつい方が上だった」。入江文和監督の熱心な指導の下、朝練習の800メートル走5本、冬季の階段ダッシュ…。「でも、小学校から続けてきた野球。今、やめたらもったいない」。甲子園を夢見て耐えた。結果、筋力、スタミナをはじめ、体力、体格が変わった。入学時は68キロだった体重は75キロまで増え、球速も132キロから143キロに上がった。
迎えた高校最後の夏。瓊浦、九州文化学園、長崎総合科学大付などの私立校を倒して、7年ぶりに決勝に進んだ。仲間たちの絶大な信頼を得た右腕が、チームを7年ぶりに決勝の舞台へ導いた。最後は創成館に敗れたが、この試合で自己最速の145キロをマーク。泣き言一つ言わずに、最後まで1人で投げ抜いた。
もちろん、悔しさは残っている。「でも、練習試合の結果とかを考えても、自分たちがあそこまで勝つと思っていなかった」。仲間たちと一緒に笑い、泣いた夏-。かけがえのない思い出だ。入江監督も「彼自身、思うような結果が出せずに苦しんできたが、集大成の舞台であの結果を出せたのは、3年間の彼の努力があったから」と最大級の賛辞を贈った。
卒業後は全日本大学選手権優勝の実績があり、九州地区大学北部九州ブロックで6季連続優勝中の日本文理大に進む。控えめで、大きなことを口にしないため「日本一」とか「プロ」とかいう言葉は出ない。唯一、目標に掲げたのは「150キロを投げる投手になりたい」。実現すれば、おのずと次への道は開かれていく。