民家に島原城三ノ丸御殿 廃城後に一部移築か? 現存は全国6例 長崎県内初確認

2024/10/06 [11:00] 公開

民家に移築されていた島原城三ノ丸御殿の座敷=島原市宮の町

民家に移築されていた島原城三ノ丸御殿の座敷=島原市宮の町

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島原市教委は4日、同市宮の町の民家に、江戸時代の島原藩主が暮らしていた島原城三ノ丸御殿の一部が移築され、現存していることが分かったと発表した。明治時代の廃城後に移築されたとみている。
 市教委によると、現存する江戸時代の御殿は移築も含めて全国で6例しか確認されておらず、長崎県内では島原城三ノ丸御殿が初確認という。
 市教委などによると、三ノ丸御殿の敷地は約5万平方メートル。現在は市立第一小と県立島原高がある。御殿は庭園のほか、藩主が政務を行う「表向(おもてむき)」、居住する「奥向(おくむき)」などがあった。民家に移築されていたのは藩主が勉学などに励む「仲之御居間(なかのごいま)」。
 長崎総合科学大の山田由香里教授が2021年度から民家を調査。床の間や付書院、違い棚など座敷の構造と大きさが、幕末期とみられる三ノ丸の絵図に描かれている仲之御居間と一致しているという。
 座敷の棚には、熊本藩に仕えた肥後狩野派10代目の絵師、狩野養長(おさなが)(1814~1875年)が、桜や雪景色を格調高く描いている。
 調査では幕末の「万延元年」のほか「明治三十二年」「昭和二十九年」と記された3枚の棟札が発見された。山田教授は、仲之御居間の一部が明治期に藩医の柴原拙齋(せっさい)宅に移築され、さらに昭和期に宮の町の民家に移されたとみている。
 民家は現在空き家になっており、本年度内に解体される予定。市教委は仲之御居間の部材を所有者から譲り受けて保存する。
 市教委は島原城築城400年記念事業の一環として、5日から今月末まで、土、日曜に民家を一般公開する。所在地は「すき家 島原宮の町店」隣。公開時間は午前9時半~午後4時半。