島原城「築城400年」 天守閣の柱など市に寄贈 清水家子孫と郷土史家遺族

2024/08/23 [12:00] 公開

清水さん(右端)と松尾さんの遺族(右から2、3人目)から寄贈された史料を見学する古川市長ら=島原市役所

清水さん(右端)と松尾さんの遺族(右から2、3人目)から寄贈された史料を見学する古川市長ら=島原市役所

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江戸時代に築かれた島原城の天守閣の柱や三ノ丸表門の瓦など5点が21日、今年の「築城400年」を記念し、長崎県島原市内の旧家の子孫と郷土史家の遺族から同市に贈呈された。寄贈した清水家第14代当主の清水純一さん(75)と郷土史家の故松尾卓次さんの遺族に、古川隆三郎市長は「貴重な史料として活用させていただきたい」と感謝した。
 市教委などによると、島原城は森岳城とも呼ばれ、初代島原藩主・松倉重政が1618年に着工した。工期は諸説あるが、市は古文書の記述などから1624年を完成年とみなし、今年を「築城400年」と位置付けている。城は明治維新に伴い廃城となり、天守閣は1876(明治9)年ごろに解体。現天守閣は市が1964年に建設した。
 清水家は藩政期の豪商。柱は2006年、邸内の古い蔵を解体する際に見つかった。木片2点(長さ各55センチ)が木箱に入っており、それぞれ「松倉重政公御造営」「森岳城天守柱」などと記され、ふたには明治期の当主・作衛の名で「明治9年秋」と墨書されていた。
 松尾さんは清水家の蔵解体時に発見された三ノ丸表門のものと伝わる瓦2点と、歴代藩主らの書画を作衛が巻物に仕立てた「高来華(たかくのはな)」を所蔵。今年3月1日に88歳で亡くなる直前に「市の持ち物にし、島原城の価値を多くの人に知ってもらいたい」と遺言していた。
 贈呈式は市役所であり、清水さんは「(解体される前の)島原城の写真が一枚も発見されていない。柱の木片だけでも見てもらい、島原城の存在を実感してもらいたい」と希望した。松尾さんの長男・知(さとる)さん(56)は「島原の魅力を伝えることが父の願いだった。殿様の書画を見に訪れてもらえたら」と語った。