松浦市教委(長崎県)は11日、同市鷹島沖の海底で昨年10月に見つかった木製構造物について、鎌倉時代の元寇(げんこう)で日本に襲来した元の沈没船と確認したと発表した。2011年に1隻目の沈没船を確認して以降、3隻目となる。
3隻目の位置は鷹島東南部の沖合150メートル、水深約18メートルの海底。昨年の調査では、船体を形作る「外板材」や内部を仕切る「隔壁」とみられる木製構造物が発見されていた。
今月1日から10日まで、木製構造物の発掘調査を再び実施。新たな外板材や隔壁に加え、船底部分の板材、船の背骨となる竜骨(キール)を確認した。13~14世紀の中国製陶磁器や、船室とみられる部分では、刀のさやのほか、指輪や箸のような金属製品も発見した。
3隻目の位置は15年に見つかった2隻目から約50メートルしか離れていない。調査を主導する国学院大の池田榮史(よしふみ)教授は「この海域には(ほかにも)何隻かあると考えている。継続的に調査すれば船の数は間違いなく増えていく」と期待した。松浦市教委は今後も国の補助金を活用しながら調査を進めたい考え。
今回の調査は水中遺跡調査の技術共有や人材育成に向けた文化庁の事業として行われた。潜水や船上の研修に全国7自治体から計12人の文化財課職員らが参加した。
友田吉泰市長は「最初の蒙古襲来(文永の役)から750年目の今年に、元寇の歴史を見直すきっかけになれば」と話した。
鷹島沖では、元が2度目に襲来した「弘安の役」(1281年)で、約4400隻の艦隊が暴風雨に遭い壊滅したとされる。1隻目の元船が見つかった海域は2012年、海底遺跡として国内初の国史跡「鷹島神崎遺跡」に指定された。
3隻目の位置は鷹島東南部の沖合150メートル、水深約18メートルの海底。昨年の調査では、船体を形作る「外板材」や内部を仕切る「隔壁」とみられる木製構造物が発見されていた。
今月1日から10日まで、木製構造物の発掘調査を再び実施。新たな外板材や隔壁に加え、船底部分の板材、船の背骨となる竜骨(キール)を確認した。13~14世紀の中国製陶磁器や、船室とみられる部分では、刀のさやのほか、指輪や箸のような金属製品も発見した。
3隻目の位置は15年に見つかった2隻目から約50メートルしか離れていない。調査を主導する国学院大の池田榮史(よしふみ)教授は「この海域には(ほかにも)何隻かあると考えている。継続的に調査すれば船の数は間違いなく増えていく」と期待した。松浦市教委は今後も国の補助金を活用しながら調査を進めたい考え。
今回の調査は水中遺跡調査の技術共有や人材育成に向けた文化庁の事業として行われた。潜水や船上の研修に全国7自治体から計12人の文化財課職員らが参加した。
友田吉泰市長は「最初の蒙古襲来(文永の役)から750年目の今年に、元寇の歴史を見直すきっかけになれば」と話した。
鷹島沖では、元が2度目に襲来した「弘安の役」(1281年)で、約4400隻の艦隊が暴風雨に遭い壊滅したとされる。1隻目の元船が見つかった海域は2012年、海底遺跡として国内初の国史跡「鷹島神崎遺跡」に指定された。