ノーベル平和賞授賞式へ結団式 反戦反核、チーム長崎で 被爆者の苦しみ現地で訴え

2024/12/05 [10:25] 公開

折り鶴で作った首飾りを贈られ笑顔を見せる田中会長(中央左)ら=長崎市岡町、長崎被災協

折り鶴で作った首飾りを贈られ笑顔を見せる田中会長(中央左)ら=長崎市岡町、長崎被災協

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ノルウェー・オスロで日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞授賞式が開かれるのを前に4日、渡航者による結団式が長崎市内で開かれた。「核兵器も戦争もない世界にするため『チーム長崎』一丸となり、訴える」。被爆者や被爆2世・3世ら13人が出席し、現地で声をからす決意を示した。長崎を「最後の被爆地」とするために。

 「核兵器禁止条約が発効して3年になるが、一向に減らない」。長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の会長で、被団協の田中重光代表委員(84)は悲願だった条約が核保有国に広がらない現状を指摘。受賞はあくまで一里塚と捉え、「被爆者が生きていてよかったと思えるよう世界に訴え、長崎に帰ってきてからも運動を続けたい」。約60人が訪れた会場から大きな拍手が送られた。
 長崎被災協で相談活動を半世紀以上続ける横山照子副会長(83)は「たくさんの被爆者の相談を受け、核兵器はこんなにも恐ろしいのかと一緒に涙してきた」と回顧。受賞を通して、核兵器をいまだ手放さない世界に「原爆はこうも被爆者の人生を駄目にするのだ」と知らしめるつもりだ。
 得意の紙芝居で、自身や仲間たちの被爆体験を語る三田村シズ子さん(82)。持参する紙芝居2編のうち1編は、この日逝去が明らかになった長崎被災協副会長・小峰秀孝さんの体験を描いたもの。「一緒にオスロに行くつもりで持っていこうと思った。原爆に苦しめられた人生を小峰さんに代わって現地で語りたい」と故人に思いをはせた。
 倉守照美さん(80)は1歳で被爆。当時のことは覚えていないが、「記憶が無くても訴えることができる」と強調する。「80歳を超え、授賞式に行くのは最後のチャンス。家族の応援があってこそ行けるので、子どもたちに戦争のない平和な世の中を残せるように発信したい」と語った。
 ヒバクシャ国際署名の元キャンペーンリーダーで、平和学習を提供する事業などに取り組む林田光弘さん(32)は被爆3世。「国防の道具にされる核兵器が、どんな死や、どんな苦しい生をもたらすか認知が広がっていない」と危機感を抱く。オスロでは現地メディアの取材を受ける予定。「被爆者の声に耳を傾けてほしいと訴えるが、核兵器は被爆者だけの問題ではなく私たちの問題」とし、連帯の声を現地から上げる覚悟だ。
 第27代高校生平和大使の大原悠佳さん(17)=県立長崎西高2年=と津田凜さん(16)=県立長崎東高2年=は授賞式に出席するほか、現地の高校で出前授業に取り組む。大原さんは「長崎の高校生として何を伝えるべきか考えたい」。津田さんは「受賞の裏には被爆者がつらい経験を語ってきた過去がある。思いを継ぎ、後世に伝える」と話した。
 渡航者への激励のメッセージもあった。高校生平和大使派遣委員会の平野伸人共同代表(77)は「(被爆地の声を)世界に広げ、その成果を日本に持ち帰る役割を果たしてきてほしい」と期待した。長崎原爆遺族会の本田魂会長(80)は受賞を祝い、折り鶴の銅製モニュメントを長崎被災協に贈呈。「ひどい人は原爆で跡形もなくなった。そんな恐ろしいことは二度と起こらないようにしてほしい」と切なる願いを託した。
 13人には、長崎被災協に届いた折り鶴で作った首飾りも渡された。現地イベントなどで着用し、平和の尊さをアピールする。