特攻艇震洋「遺品の寄贈を」 慰霊祭へ参列減り危機感 川棚・新谷郷の住民

2024/09/14 [12:12] 公開

特攻隊員の遺品などが並ぶ資料館=川棚町新谷郷

特攻隊員の遺品などが並ぶ資料館=川棚町新谷郷

  • 特攻隊員の遺品などが並ぶ資料館=川棚町新谷郷
  • 「震洋」復元船の展示館=川棚町新谷郷
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第2次世界大戦の末期、旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」の訓練所があった長崎県東彼川棚町新谷郷の住民が、震洋に関する遺品や資料の寄贈を呼びかけている。毎年開いている慰霊祭に参列する遺族が年々減少。戦後79年を経て、体験者から痛ましい特攻の証言を直接聞くことが困難になっており、住民は危機感を募らせている。
 震洋は長さ約5メートルのベニヤ板製の船。爆薬を積み、乗員もろとも敵艦に体当たりした。新谷郷には1944年から終戦直前まで震洋の訓練所が置かれ、訓練を受けた特攻隊員が出征していった。
 戦死した隊員を慰霊しようと67年、元隊員や教官らが、戦死した3511人の名を刻んだ「特攻殉国の碑」を建立した。2012年には資料館が、21年には震洋の復元船の展示館がそれぞれ完成した。現在はいずれも新谷郷が管理している。
 資料館の展示品は数十点。12年に90歳で死去した元訓練所教官、西村金造さんが保管していた軍服や部隊看板のほか、西村さんが所蔵していたり、遺族らから寄贈されたりした手紙、日記、写真などを展示。隊員らの思いがしのばれ、子どもたちの平和学習の場としても活用されている。
 慰霊祭は毎年5月に開催。慰霊碑保存会の事務局機能を西村さんから引き継いだ新谷郷が主催している。毎年100人以上が参列しているが、ここ2年間は元隊員の参列がなかった。遺族は妻子の参加が減り、孫やひ孫の世代が目立っている。今年の遺族の参加は20人程度だった。
 新谷郷総代の寺井理治さん(78)は「震洋のことを学び、伝えていけるのは全国でもここだけしかない。家庭に眠る遺品などがあれば提供してほしい」と呼びかけている。寄贈の問い合わせは寺井さん(電090・4991・0715)。
 資料館・展示館は見学の申し込みがあった時だけ開館。観覧無料。見学の申し込みは川棚町企画観光課(電0956・76・8335)。