「終わった話ではない」カネミ油症、初の長崎の集い 次世代救済を涙ながらに訴え

長崎新聞 2025/03/17 [10:00] 公開

次世代被害者として複雑な心情を語る下田恵さん(左)と、母の順子さん=長崎新聞社

次世代被害者として複雑な心情を語る下田恵さん(左)と、母の順子さん=長崎新聞社

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長崎県など西日本一帯で健康被害が拡大したカネミ油症への市民の理解を広げる集いが15日、長崎市茂里町の長崎新聞社であった。五島市出身で諫早市在住の認定患者、下田順子さん(63)は被害の実態や長年の苦悩を語り、長女で未認定の恵さん(35)は「油症は終わった話ではない」と訴え、患者の子や孫ら次世代被害者の救済を求めた。
 油症は、カネミ倉庫製米ぬか油の製造過程でカネカ(旧鐘淵化学工業)製ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入、販売され1968年に発覚。PCBの一部はダイオキシン類に変化しており、深刻な健康被害を引き起こした。ダイオキシン類は母親の胎盤や母乳を通じて子に移行した可能性が指摘されている。
 当時、汚染油を直接摂取した順子さんは、子ども時代にひどい吹き出物を発症しいじめられた経験や自殺を考えた過去を振り返った。また、「毒の油」を購入し家族に食べさせてしまった母親たちは自分を責め続けたとし、「油を流通した(原因企業などの)責任と罪は重い」と強調した。
 次世代被害者の恵さんは、倦怠(けんたい)感や鼻血などに苦しんできたが、ダイオキシン類の血中濃度が診断基準を下回り未認定。次世代救済への壁は高く、諦めかけたこともあった。「油症は親から子の世代まで続いている。理解者が増えることを強く願う」。恵さんは涙ながらに訴えた。
 参加した県内の60代の男性認定患者は、患者であることを「周りに言うな」と家族から口止めされてきたという。「油症についてほぼ知らなかったので良い機会になった」と語った。
 「カネミ油症を考える長崎の集い」は、順子さんが代表を務める長崎本土地区油症被害者の会が初開催し長崎新聞社が後援。被害者の聞き取り記録集「家族の食卓」の記者らによる朗読もあった。