平和への思い、国超えて共有 長崎・香焼で追悼式 生還した元捕虜の孫が初参列

2024/09/15 [11:13] 公開

追悼碑に献花したフォンクさん=長崎市、福岡俘虜収容所第2分所跡地

追悼碑に献花したフォンクさん=長崎市、福岡俘虜収容所第2分所跡地

  • 追悼碑に献花したフォンクさん=長崎市、福岡俘虜収容所第2分所跡地
  • フォンクさんは、米軍によって福岡俘虜収容所第2分所から救出された直後の捕虜とされる写真を所有。黄色い丸で囲われた人物が祖父のアルバータスさんだという(フォンクさん提供)
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戦時中に西彼香焼村(現長崎市香焼町)にあった福岡俘虜(ふりょ)収容所第2分所で死亡した連合国軍捕虜を悼む追悼・平和祈念式が14日、跡地に立つ追悼記念碑前で執り行われた。1年半収容された後に母国オランダへ生還した祖父の足跡をたどり、初めて長崎を訪れたメレル・フォンクさん(36)も参列。被爆者や地元中学生らと共に平和を願った。
 同分所は1942年10月に開設。オランダや英国、米国などの最大約1500人が収容され、終戦後の45年9月に解放されるまでに計73人が落命した。2015年に市民有志が記念碑を建立し、清掃などを市立香焼中生徒が担っている。
 フォンクさんは、20年ほど前に亡くなった祖父アルバータスさんの経験を知るため来崎。この日式典があることは知らずに跡地を訪れ、急きょ参列した。
 フォンクさんによると、海兵隊員だった祖父はインドネシアで日本軍に捕らえられ、44年3月から収容された。造船所で働かされ、空襲時や原爆投下時はトンネルに避難していた。終戦翌月に米軍によって救出されたが、帰国後も「悪夢を見ていた」という。かつての対立を乗り越え式典が開かれていることに、フォンクさんは「すばらしい。続けてほしい」と語った。
 式典には約50人が参列。記念碑維持管理委員会の朝長万左男代表は、ウクライナやパレスチナ自治区ガザで続く戦闘に触れ「一日も早く終息に向かうことを本日の慰霊祭の最大の祈りとしたい」とあいさつ。在日オランダ大使館のスタイン・ワイケル2等書記官は「記念碑は平和な世界に対する希望を共有する場所だ」と語った。