無謬性神話

長崎新聞 2024/09/22 [10:32] 公開

小さな町役場も、霞が関の中央省庁も。この国の行政を説明するキーワードの一つに「無謬(むびゅう)性神話」という言葉がある。「謬」は〈間違い〉のこと。〈行政は間違いを犯してはならない。現行の制度や政策は間違っていない〉とする考え方をいうようだ▲確かに、役所が間違えてばかりでは市民は安心して暮らせない。税金で仕事をしているのだから、と誤りを忌避する責任感や使命感にはいちおう敬意を表しておきたい▲だが“お役所仕事”の安易な前例踏襲や硬直的な対応の多くはこの神話から生まれる。「上級審の判断を仰ぎたい」と裁判の負けをかたくなに受け入れない態度もそうだ▲原告側の訴えを一部認めた先の被爆体験者訴訟判決に関連して、岸田文雄首相が体験者に対する医療費助成の大幅な拡充方針を打ち出した。ただし、判決には不服で「控訴せざるを得ない」という。裁判は続く▲職業裁判官が「誤り」を指摘した事実は一度でも重い。行政側は控訴を見送るべきだった。話はそれからだ。医療費助成は被爆者援護施策の大きな柱には違いない。しかし、全てではない▲ほら、と病院代を投げてよこすような-と書いたら言葉が過ぎるか。「合理的な解決」を目指す約束ではなかったか。問いたい。どこがどう、理にかなっていると言うのか。(智)