永瀬連覇、記録にも記憶にも パリ五輪・長崎県勢の総評 諫早にゆかり…ゴルフ松山「銅」も

2024/08/13 [11:13] 公開

優勝した永瀬を讃える観客ら=パリ

優勝した永瀬を讃える観客ら=パリ

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パリ五輪が幕を閉じた。長崎県民にとってのハイライトは、柔道の永瀬貴規(30)=長崎市出身=で決まりだろう。最も競争が激しく、ひと昔前は日本人が勝てないとまで言われた男子81キロ級で史上初の連覇を成し遂げた。畳の上では感情を抑え、礼を尽くす所作で「記録」にも「記憶」にも残る名選手として五輪史に名を刻んだ。

集大成の金
 やはり永瀬は最強だった-。テレビ中継で繰り返されたフレーズがしっくりくる。したたかに相手を追い詰め、心を折って最後に投げる。玄人が好む「詰め将棋」のような試合運びで、2021年東京五輪以来の世界王者になった。
 この階級は世界選手権3連覇中だったグリガラシビリ(ジョージア)、世界ランク1位のカス(ベルギー)、さらに李俊奐(韓国)が有力とされ、実際にカスを除く3人は表彰台に上がった。永瀬は準々決勝でカスを延長の末に破り、決勝はグリガラシビリに一本勝ち。東京五輪後、結果が出ない時期に強く叱咤したこともあったという日本男子の鈴木桂治監督が「突き抜けていた。この階級の連覇は今後いろんな方から称賛がある」とたたえる快挙を達成した。
 男女混合団体でも1試合に出場して日本の銀メダル獲得に貢献。無敗でパリの畳を降りた。「集大成」と位置付けた五輪が終わり、本紙の単独インタビューで「心身ともに休んで目標を立てていきたい」と語った柔道家の今後が注目される。
 日本が獲得した金メダル数20、総メダル数45は海外開催の五輪で史上最多。優勝本命に挙げられながらメダルを逃す選手が続出した中、永瀬のように前評判を覆して躍進する選手が目立った。

裏方で支え
 パリ五輪に出場した長崎県出身者は永瀬のみだった。一方で、長崎にルーツを持つ選手の活躍も複数見られた。
 父親が諫早市で生まれ育った松山英樹(32)は、ゴルフ男子で日本初の銅メダルをもたらした。佐世保市生まれのスケートボード男子パークの永原悠路(19)は予選15位。日本が苦戦するこの種目の「抜けた存在」として28年ロサンゼルス五輪への足掛かりをつかんだ。
 裏方で支えた県内出身者も多い。陸上競歩で過去3大会に出場した森岡紘一朗(39)=諫早市出身=は妻、岡田久美子の専任コーチとして競歩混合団体8位入賞の力になった。ローイング日本代表コーチの原口聖羅(33)=東彼杵町出身=、バレーボール男子日本代表マネジャーの坂本將眞(25)=対馬市出身=も初の五輪で奮闘した。

人がつくる
 パリ五輪は全体の95%を既存や仮設の施設でまかない、開催経費が膨れ上がる一方だった現代の五輪と一線を画した大会運営で注目を集めた。おおむね成功だったのではないだろうか。街中に点在する歴史的遺産を会場に仕立て、エッフェル塔やベルサイユ宮殿、コンコルド広場などを背景に選手たちが力を振り絞る姿は壮観。鉄筋骨組みの仮設会場に不便さは感じなかった。セーヌ川の汚染や選手村への不満などは十分に検証すべき問題だが、それを踏まえても、五輪が進むべき新たな道筋を示した意味で果たした役割は大きい。
 フランス人はよく個人主義と言われる。いい意味で腑(ふ)に落ち、偏見は覆された。観客はおのおのが陽気に声を上げ、決して相手へのリスペクトを忘れない。選手と一緒に世界一の祭典をつくり上げていた。無観客の東京五輪を経て、さらにその存在価値は高まっている。
 世界最高峰を決める舞台も、感動も興奮も、最後は人がつくり出す。ハコモノではない。メダルを輝かせるのは選手の汗や涙、そして観客の温かい声だ。そんな説得力を持つ大会になったと感じる。