瀬戸内寂聴さんの死去の報に、長崎県関係者からも哀悼の声が上がった。寂聴さんと親交が深く、2015年夏に長崎市で開かれたトークショーで対談した同市出身の歌手、美輪明宏さんは「反戦の同志を失った。口に出せないほどの寂寥(せきりょう)感がある」と語った。
トークショーは同年7、8月に県美術館であった寂聴さんの作品世界を紹介する「戦後70年、被爆70年-瀬戸内寂聴展~これからを生きるあなたへ~」(長崎新聞社など主催)の一環で開催。出家や作品への見解など話題が多岐にわたった中、寂聴さんは平和についても語り「戦争は集団人殺し。広島と長崎は原爆のひどい被害に遭っている。二度と繰り返してはならない」と強い口調で訴えた。
50年以上の付き合いという寂聴さんと美輪さん。戦禍をくぐり抜けた二人は、国民にうそをつきながら負け戦を突き進めた軍部への強い怒りを抱いてきた。美輪さんは「弱肉強食の世の中、敢然と見えない剣を振るって生き抜いてきた」と寂聴さんを評し、「無邪気で、歯に衣を着せず、悪いことは悪いとはっきり言った。困った人をほうっておけなかった。だから人を引きつけた」と語った。
美輪さんのコンサートを鑑賞後、寂聴さんが楽屋に駆け込み「世界一良かった」と涙を流しながら抱きついてきたことがあったと振り返り、「口も筆も体の表現も素直な人だった」としのんだ。
「寂聴展」は、前年から背骨の骨折と胆のうがんで療養を続けていた寂聴さんにとって活動再開後初の大仕事だった。医者の反対を押し切って開場式にも出席し、「死ぬまで『戦争はしちゃいけない』と叫び続けたい」と決意を語った。
寂聴さんの友人で諫早市の社会福祉法人理事長の高橋桂子さん(81)は「寂聴展」の初日に会場で再会。「久しぶりね。私、小さくなったでしょう」と声を掛けてくれた寂聴さんの笑顔が忘れられない。
出会いは1978年。小説家の故井上光晴さんが佐世保で開いた文学伝習所に通ったことが縁で、井上さんと共に講演した瀬戸内さんを自宅に招くことになり、そこから交流を続けてきた。
最後に会ったのは2019年6月、京都市であった寂聴さんの秘書の結婚披露宴だった。今年9月ごろ「生きているうちに会いたいわね」と電話で話していた。「会えないままで、それだけが心残り」と声を震わせた。
瀬戸内寂聴さん死去 美輪さん「反戦の同志失った」 長崎ゆかりの友人らが追悼
2021/11/12 [10:00] 公開