江戸期に種痘の普及などで活躍した蘭方医・柴田方庵(1800~56年)が長崎滞在中に記した「日録」(日記)などを、方庵の出身地である茨城県日立市の古文書学習グループが翻刻した。成果を収めた最後の刊行物を今年出版し、35年以上に及ぶ翻刻事業が完成。長崎の研究者は「幕末の長崎を語る上で欠くことのできない貴重な史料」と話している。
方庵は31年、水戸藩の命で長崎に渡り、西洋医学を学んだ。後に長崎で開業。海外情報を藩に伝える使命もあった。49年に長崎で初めて天然痘予防の種痘が実施されると、自宅で種痘所を開設するなどしてその普及に努め、そのまま長崎の地で亡くなった。
「日録」は6巻あり、1~5巻は長崎滞在中の45年から亡くなる56年まで、6巻は方庵没後の記録が収められている。他に、日録の要点をまとめた「日録撮要」、長崎へ向けて出発した頃から記された「西征日記」、診断書など書類の控え「書式雑記」といった史料もある。
方庵の行動や見聞きしたことがつづられた日録などからは、当時の長崎の風俗や習慣などさまざまなことが浮かび上がる。特に46年6月以降は「小児痘見点」や「酒湯」(快気祝い)など、天然痘に関する記述が増加。52年からは天然痘ワクチンの接種「種痘」の記述が増える。
同年、方庵は出島出入医師・吉雄圭斎と共に市民へ無料で種痘することを計画。奉行所から人々へ通達してもらうよう願い出て、それぞれ自分の家で接種を進めた。疫病流行の実情や、方庵が医師として活躍した様子がうかがえるという。
翻刻事業は、日立市の古文書学習会(現会長・赤津俊明さん、6人)が郷土の偉人である方庵の業績を広く知らせようと1984年に着手。これまでに計41人が参加し、日録の崩し字を解読するなどして全8冊にまとめた。
長崎市歴史民俗資料館の永松実学芸員は「方庵の日録から長崎はもとより、当時の国際情勢が見えてくる。これだけの情報を残している人はいないのではないか。それを三十数年かけて翻刻していただいてありがたい」と話す。赤津会長は「方庵の記録に新しい重要な事実があるのかは分からない。しかし、既に明らかになっていることの行間を埋めることが書いてあるかもしれない。長崎の歴史研究の一助になれば、うれしい」と語る。
同古文書学習会が発行した全8冊は、ミライon図書館(長崎県大村市東本町)で閲覧できる。
江戸期に種痘を普及させた蘭方医 柴田方庵の「日録」翻刻完成
2021/08/29 [12:00] 公開