「関心持ち続け、支援を」ミャンマー地震から1カ月 長崎県在住のミャンマー人、故郷の惨状に心痛め

長崎新聞 2025/04/28 [12:30] 公開

タンジントゥンさんにマンダレーの友人から届いた写真。地震後、火災に見舞われて焼け野原になった(本人提供)

タンジントゥンさんにマンダレーの友人から届いた写真。地震後、火災に見舞われて焼け野原になった(本人提供)

  • タンジントゥンさんにマンダレーの友人から届いた写真。地震後、火災に見舞われて焼け野原になった(本人提供)
  • 被災したマンダレーのティンザートゥンさんの実家(本人提供)
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ミャンマー中部を震源とする大地震は28日で発生から1カ月。長崎県在住のミャンマー人は、ニュースなどで伝えられる故郷の惨状に心を痛め、日本の支援の動きに励まされてきた。生活再建に向けて支援はなお必要となることから、「関心を持ち続け、支えてほしい」と訴える。

 長崎市の特別養護老人ホームで介護職員として働く技能実習生、ティンザートゥンさん(30)は、被害が大きかったミャンマー中部マンダレーに祖父母と母、妹が暮らす。2023年に来日した後も、毎日のように妹とインターネットを通じて連絡し合っていた。

 地震発生は職場のテレビで知った。速報では詳細は分からなかったが、帰宅後に見たニュースで現地の様子に驚き、すぐに妹に連絡した。だが、その日はつながらず、心配で眠れなかった。やっと連絡が取れたのは2日後。「みんな無事」と知らされ、ほっとした。

 その後も余震が続き、妹たちは寺院に設けられた避難所に一時身を寄せた。現在は近くの小屋に移り、壁や屋根の壊れた自宅の復旧に追われている。地震後、食料品が不足して値上がりし、困っているとも聞いた。友人の家族は建物の倒壊に巻き込まれたとみられ、今も安否が分からないという。妹は「大丈夫」と話すが、心配をかけまいとしているのではと案じる。

 不安な日々にホームの入所者やスタッフから「家族は?」「連絡は取れた?」と気遣われ「落ち着けた」と感謝する。衣服や薬を送って支援できないか、長崎に住むミャンマー人の仲間と相談しているという。

 長崎大熱帯医学研究所研究員のタンジントゥンさん(34)もマンダレー出身。現地に住む家族は地震発生から数時間後に無事が確認できた。だが、通信の混乱で連絡を取れない人も多かった。友人らがマンションの倒壊で亡くなったのをはじめ、多くの知り合いが命を落とし、「胸が張り裂けるようだった」。

 タンジントゥンさんは、かつて現地の病院に勤務した。それだけに、重傷者があふれ、水や電気が不足する中で、医師らが直面する困難が想像できる。家を失った人が路上で寝泊まりせざるを得ず、衛生状態が悪化すれば、感染症が流行するのではと心配する。

 取材の際、1枚の写真を記者に見せてくれた。「日本でも、この様子を知らせてほしい」と、医師の友人が現地から送ってきたという。後ろ姿の友人の向こうに写る一帯は地震後、火災に見舞われ、焼け野原となった。「多くのものを失ったにもかかわらず、彼は医療と社会経済の両面で地域支援に献身的に取り組んでいる」と、タンジントゥンさんは訴える。

 日本が派遣した国際緊急援助隊医療チームが、マンダレーの仮設診療所で多くの患者を治療するニュースも目にした。「日本の皆さまに心から感謝しています」。被災から懸命に立ち上がろうとする故郷を、さらに見守り、支援してほしいと願っている。

 国によると、本県には昨年末現在、約1260人のミャンマー人が就労や留学などで住み、年々増加傾向にある。
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 日本赤十字社は「2025年ミャンマー地震救援金」への寄付を募っている。地震で被害を受けたミャンマーや隣国タイでの救援・復興支援などに充てる。受け付けは6月30日まで。詳しくは公式サイトに掲載。