私(わたし)たち人間が、病気やケガをしたときにお世話になるお医者さん。植物にも樹木医(じゅもくい)がいることを知っていますか。木は人間と違(ちが)って話すことはできませんが生きています。樹木医は、木が元気で長生きできるように診察(しんさつ)し治療(ちりょう)します。
変化を見逃(みのが)さない
木にとっての食事は、土中の養分や水分を根から吸(す)い上(あ)げること。ところが大きな木や樹齢(じゅれい)が何百年にもなる古木は、周囲の土が踏(ふ)み固(かた)められたり、台風で枝(えだ)が折れたところから腐(くさ)って空洞(くうどう)になったりして衰弱(すいじゃく)してしまいます。
木の健康状態(じょうたい)を知るには、枝先の枯(か)れ葉(は)、全体の葉の色や量の違いなど小さな変化を見逃(みのが)さないことが重要です。また打音といって幹(みき)を木づちでたたいて内部の腐り具合を確(たし)かめる方法もあります。
固くなってしまった地面は、土をほぐして肥料(ひりょう)を混(ま)ぜて改良します。根を傷(きず)つけないように大木では地下1メートル以上、幹から半径4~5メートルの範囲(はんい)の土を1週間かけて掘(ほ)り返(かえ)すこともあります。空洞部は周囲の腐っている部分を取り除いた後、殺菌剤(さっきんざい)を塗(ぬ)り雨水が入らないように保護(ほご)します。高木の場合は、工事現場(げんば)同様に足場を設(もう)けて作業します。
治療の成果は2年ぐらい様子を見ないと分かりませんが、長年やっていると“木の声”が聞こえるようになります。次第に元気になっていく木を見るとやりがいを感じます。
きっかけは桂離宮(かつらりきゅう)
28歳(さい)でタメナガ造園(ぞうえん)を設立(せつりつ)し、現在(げんざい)は県樹木医会会長をしています。きっかけは中学校の教科書に載(の)っていた京都・桂離宮(かつらりきゅう)の写真。そのすがすがしさとデザイン性(せい)の高さに心奪(こころうば)われ、迷(まよ)うことなく東京農業大造園学科へ進みました。就職(しゅうしょく)先の造園会社では、ドイツで日本庭園を造(つく)った経験(けいけん)もあります。
造園業一筋(ひとすじ)約50年、やめようと思ったことは一度もありません。樹木医は治療の終わりが仕事の終わりではないからです。人よりも長生きする木が相手なので、いつも何十年先を見越(みこ)して仕事をしています。幸い、今後は息子が後を継(つ)いでくれるのでひと安心です。
長崎の名木伝える
寺の境内(けいだい)や学校の運動場の木には観賞用としてだけでなく、そこに住む人たちの生活や思い出と結び付いた地域(ちいき)のシンボルとしての役割(やくわり)があります。また、福山雅治(ふくやままさはる)の楽曲『クスノキ(2014)』で知られる山王神社の被爆(ひばく)クスノキ(長崎市、市指定天然記念物)や、根をくぐって結婚式(けっこんしき)をする新上五島町奈良尾(ならお)のアコウ(国指定天然記念物)など、県内には多くの貴重(きちょう)な名木があります。
県樹木医会では、長崎の巨木・名木をまとめた本の出版(しゅっぱん)を予定しています。若(わか)い人たちに長崎ならではの樹木を広く知ってもらい、後世に伝えること。これも私たち樹木医の大切な仕事だと考えています。