動物「わが子のように」 2代目ゾウ ハナ子を30年担当 草創期支えた元飼育員 育み 集い 憩う 森きらら開園60年・上

2021/05/24 [23:35] 公開

河野さんにホースで水をかけてもらう若い頃のハナ子(河野さん提供)

河野さんにホースで水をかけてもらう若い頃のハナ子(河野さん提供)

  • 河野さんにホースで水をかけてもらう若い頃のハナ子(河野さん提供)
  • ゾウのハナ子の写真を指さしながら当時を振り返る河野さん=佐世保市内
  • 開園当時の売店前で写真に納まる河野さん(右)=佐世保市(河野さん提供)
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 長崎県佐世保市船越町の九十九島動植物園(森きらら)は25日、開園60年を迎えた。「佐世保市亜熱帯動植物園」としてスタートし、「石岳動植物園」という愛称でも親しまれてきた同園。歴史をつないできた職員の話とともに、園のこれまでとこれからを見つめる。
 「動物飼育のことで頭がいっぱいで、開園日の園の様子は覚えていない」-。1961年5月25日、佐世保市亜熱帯動植物園は開園した。当初から飼育員を務めていた同市日野町の河野英夫さん(82)は、この前日、福岡市動物園からの“贈り物”ライオン2頭を乗せたトラックで佐世保に着いたばかりだった。
 河野さんは当時22歳。福岡市動物園で働いていたときに声を掛けられた。といっても、動物飼育の経験は2カ月ほどしかなく「素人」同然。ベテランの飼育員に指導してもらえると思っていたが、着任当日に48種110匹の動物をもう1人の飼育員と2人で担当することを聞かされた。「見かねた飼育経験のある業者が3カ月手伝ってくれた。その人を頼りに無我夢中で学んだ」と振り返る。

 それでも、どの動物が何を食べるのか、どんな習性があるのか、ほとんど分からない。他の園に手紙で聞いたり、休みの日には足を運び直接教えてもらったりと奔走した。「とにかくやるしかない」。開園から2年間は動物のために園内に寝泊まりする生活を送っていたという。
 その後も動物に子どもが生まれれば、夜は自宅に連れて帰り面倒を見るなど「わが子のように」飼育。徐々に増えていく職員と共に試行錯誤しながら、皆で一丸となって草創期を支えていった。
 開園から11年。ようやく飼育が軌道に乗ってきた72年7月に、2代目ゾウのハナ子がタイからやってきた。当時の新聞によると、推定1歳未満で、体高約1.3メートル、体重は約300キロ。前年12月に初代の岳子が死んだばかり。「しっかり栄養を取らせて、きちんと育て上げること。それしか考えていなかった」と話す。
 「賢い子だったから、鼻で旗をつかんで振ったり、石の上を歩いたりするトレーニングをして来園者に披露した」。ハナ子は園のアイドルになっていった。河野さんは約30年間、退職するまでハナ子の担当を務めた。退職日が近づいたある日、いつも通り寝室に向かい「ハナ子、おはよう」と声を掛けると、不思議とハナ子は涙を流したという。「会えなくなると察していたのか。こちらも、ぐっとくるものがあった」
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 開園後、園は鑑賞温室や動物病院を新設するなど、施設の充実を図っていった。そして80年には、最高記録となる入園者約26万人を達成する。「連休になると、駐車場に入るため、ふもとの方から車が並んでいた。駐車場整理に時間を取られて大変だった」。河野さんは懐かしそうに話した。