千本の桜の満開と、迫力ある渦潮が現れる大潮が重なった3月27日。コロナ禍の中、訪れた花見客は静かに散策していた。「大潮の時は流れが急で何川ですかと、尋ねられたことも」と笑うのは公園管理事務所の山崎忠保さん(56)。橋が一年で最も輝く時季だ。
西彼杵半島北部の西海市と佐世保市を結ぶ。1955年に開通し、全長316メートル。「東洋一のアーチ橋」と称された。国の直轄事業として総事業費約5億5千万円、完成に5年を費やした。当時「陸の孤島」と呼ばれた西彼杵半島住民の悲願が実現した。
後に若戸大橋や本州四国連絡橋を手掛けた建設省(現国土交通省)の吉田巌氏らが設計。橋を架ける針尾(伊ノ浦)瀬戸の流れは最大で9ノット(時速約17キロ)以上にもなる航海の難所とされ、水深は約40メートル。海中に支柱は立てられず、両岸から伸ばしたケーブルを操り、アーチを組み上げる世界初の工法を採用した。一つ一つの部材は職人らがリベットで接合した。
西海橋は昨年12月、「関門橋や本四架橋につながる日本の長大橋の原点」と高く評価され国の重要文化財に。長崎大職員の出水享さん(42)は「戦後の資材不足、コンピューターもない中、部材の無駄を省き、狂いなく組み上げられた構造美の橋。当時のつくり手たちの思いも指定を機に知ってほしい」と願う。
西海市側に住む尾崎幸雄さん(82)は架橋後、佐世保市側から移り住んだ。架橋前は潮流が緩やかな時間帯に限り、対岸に渡船できたという。岸から尾崎さんが手ぬぐいを振り、西海市側に住む親戚に合図を送ると、櫓(ろ)をこいで迎えに来てくれた。「今は車で数秒。のんびりとした時代だった」
西海橋は日本初の有料道路橋となり、長崎と佐世保を最短距離で結ぶルートになった。56年には映画「空の大怪獣ラドン」にも登場。観光客は増え、尾崎さん宅は食堂を営んだ。最盛期には佐世保市側に遊園地や水族館も整備され、団体客などでにぎわった。しかし、長崎オランダ村やハウステンボスの開業で旅行者の関心は薄れ、「団体客は減り、訪れる人は個人や地元の人が中心。それでも桜の時期は混雑する」
2006年、北側に平行して新西海橋が完成。そこから西海橋を眺めるのが日課という尾崎さんは「情熱を持った政治家や技術者が知恵を絞って架けてくれた橋。感謝を忘れないでいたい」と話した。
【動画】橋物語・西海橋 日本の長大橋の原点
2021/04/13 [12:30] 公開