壱岐の玄関口、郷ノ浦港の近くにある「居酒屋ときわ」。約50年間、この地で愛されてきた老舗の店主、新原昭夫さん(79)は60歳まで、長崎県立壱岐高野球部の監督、コーチを約25年間も務めてきた。「夢破れてきた多くのOBの分まで頑張ってほしい」。島の球児の“父親”は、初の甲子園に挑む壱岐っ子たちの活躍を楽しみにしている。
18日に開幕した選抜高校野球大会。壱岐高は21世紀枠で初出場を決めた。男子部員21人は全員が島出身者。1月下旬、甲子園出場が決まったときは「飛び上がるほどうれしかった」。
新原さんが野球を始めたのは郷ノ浦町立武生水中(現壱岐市立郷ノ浦中)入学後。当時は壱岐高に軟式野球部しかなく、県外の福岡電波高(現福岡工大城東高)に進んで白球を追った。福岡工大時代は明治神宮大会に3度出場。卒業後は福岡電波高でコーチをしていたが、母親が病に倒れたため、1977年に古里に戻って家業を継いだ。
なじみの客の中には、本土から転勤してきた教員も多かった。単身者も少なくなく、部活動の指導を終えて帰ってきた彼らに格安で夕飯を提供してきた。県立島原高剣道部を全国有数の強豪に育てた渡邉孝経さん(64)もその中の1人。渡邉さんは「毎日、飯を食べていた。地元の人たちとも友人になれる場所だった」と当時を懐かしむ。
新原さんの経歴を知った壱岐高から「野球部の指導をしてほしい」と打診されたのは35歳のころ。以降は仕事と野球を両立させる多忙な日々が続いた。「朝6時から仕込みをして、午後3時まで昼の営業。そこから指導に行き、帰ってきて午前1時まで店に立った」
将来を担う子どもたちと真摯(しんし)に向き合うために、自らも戒めた。大好きだった酒とたばこ、趣味のゴルフを封印。家族旅行をした記憶もない。60歳で指導を引くまで、1日も休まず、無償で選手たちと一緒に泥にまみれた。
指導を始めた当時の環境は整っていなかった。ファウルネットはなく、ライト方向に打球が飛べば民家の屋根に当たった。82、83年は校舎建て替えに伴ってグラウンドが使えず、野球部を休部にという動きもあったが、市営のグラウンドを確保して部を存続させた。
当然、チームは弱小だった。選手たちの体の線は細く、練習試合の際に相手選手から「どこの中学から来たんですか」と言われたこともあった。そんな子どもたちに基本を反復させながら、熱心に成長を促した。25年間で県大会8強が最高成績だったが、シード校と対等に戦えた年もあった。
今回の甲子園初出場はうれしかった半面、人生を懸けて指導してきた分、少しの悔しさもあった。そんなすべての思いを込めて、試合当日は声援を送るつもりだ。「とにかく思い切り、力いっぱい壱岐の野球を見せてほしいですね」
18日に開幕した選抜高校野球大会。壱岐高は21世紀枠で初出場を決めた。男子部員21人は全員が島出身者。1月下旬、甲子園出場が決まったときは「飛び上がるほどうれしかった」。
新原さんが野球を始めたのは郷ノ浦町立武生水中(現壱岐市立郷ノ浦中)入学後。当時は壱岐高に軟式野球部しかなく、県外の福岡電波高(現福岡工大城東高)に進んで白球を追った。福岡工大時代は明治神宮大会に3度出場。卒業後は福岡電波高でコーチをしていたが、母親が病に倒れたため、1977年に古里に戻って家業を継いだ。
なじみの客の中には、本土から転勤してきた教員も多かった。単身者も少なくなく、部活動の指導を終えて帰ってきた彼らに格安で夕飯を提供してきた。県立島原高剣道部を全国有数の強豪に育てた渡邉孝経さん(64)もその中の1人。渡邉さんは「毎日、飯を食べていた。地元の人たちとも友人になれる場所だった」と当時を懐かしむ。
新原さんの経歴を知った壱岐高から「野球部の指導をしてほしい」と打診されたのは35歳のころ。以降は仕事と野球を両立させる多忙な日々が続いた。「朝6時から仕込みをして、午後3時まで昼の営業。そこから指導に行き、帰ってきて午前1時まで店に立った」
将来を担う子どもたちと真摯(しんし)に向き合うために、自らも戒めた。大好きだった酒とたばこ、趣味のゴルフを封印。家族旅行をした記憶もない。60歳で指導を引くまで、1日も休まず、無償で選手たちと一緒に泥にまみれた。
指導を始めた当時の環境は整っていなかった。ファウルネットはなく、ライト方向に打球が飛べば民家の屋根に当たった。82、83年は校舎建て替えに伴ってグラウンドが使えず、野球部を休部にという動きもあったが、市営のグラウンドを確保して部を存続させた。
当然、チームは弱小だった。選手たちの体の線は細く、練習試合の際に相手選手から「どこの中学から来たんですか」と言われたこともあった。そんな子どもたちに基本を反復させながら、熱心に成長を促した。25年間で県大会8強が最高成績だったが、シード校と対等に戦えた年もあった。
今回の甲子園初出場はうれしかった半面、人生を懸けて指導してきた分、少しの悔しさもあった。そんなすべての思いを込めて、試合当日は声援を送るつもりだ。「とにかく思い切り、力いっぱい壱岐の野球を見せてほしいですね」