難病ALS 生きる選択ができる社会とは 患者や支援者の「声」

2020/09/17 [16:00] 公開

「周囲も一緒に不幸のつらさを除く前向きな方法を考え、行動を止めてはいけない」と訴えるALS患者の泉さん=長崎市内

「周囲も一緒に不幸のつらさを除く前向きな方法を考え、行動を止めてはいけない」と訴えるALS患者の泉さん=長崎市内

  • 「周囲も一緒に不幸のつらさを除く前向きな方法を考え、行動を止めてはいけない」と訴えるALS患者の泉さん=長崎市内
  • ALS患者向けに文章作成支援ソフトを開発した吉村さん=佐世保市鹿町町
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 難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性から依頼を受け、薬物を女性に投与し殺害したとして嘱託殺人の罪で医師2人が8月に起訴された。この事件はALS当事者や関係者に衝撃を広げた。背景には、全身の運動神経が機能しなくなる難病の苦しみを抱え、女性が死を強く願った姿が浮かぶ。患者でも、そうでなくても、生きる意味を見失いそうになったとき、どうすればいいのだろう。そして死ぬことではなく、生きることを選べる社会にするには-。長崎県内の患者や支援者の「声」に耳を傾けた。

 長崎市在住の元県職員、泉清隆さん(50)は、人工呼吸器を装着し、自宅のベッドで寝たきりの生活が続く。もう8年になる。自力で呼吸ができず言葉も出せない。それでも「今は家族に囲まれ幸せだ」と泉さんは考えている。
 人と会話をする時には、24時間介護のヘルパーが手助けする。たとえば「好き」と言いたい時には、ヘルパーが「あかさたな…」と呼び掛けると、泉さんが「さ」で1回まばたきをする。すると、「さ」行の言葉を言いたいと分かる。続けてヘルパーが「さしすせそ」と「さ」行を発し、「す」で泉さんが再びまばたきをする。これで泉さんが言いたい言葉は「す」だと分かる。この方法を繰り返して単語や一文を作り、意思疎通を図る。記者の取材にもそのやり方で応じてくれた。
 2002年にALSと診断され、当時の医師から「余命3年」と宣告された。趣味で吹いていたオカリナの穴を左手の小指でうまくふさげなくなったのが予兆だった。
 少しずつ体が動かなくなり食事もできなくなった。空気を吸えず気を失ったことも。「生きて」。当時の妻にそう言われ、人工呼吸器を装着。声を失った泉さんは、目線やまばたきで家族やヘルパーと意思疎通を図ってきた。
 しかし15年に離婚。ショックだった。「一人で死んでいくのだと思った。毎回、主治医に呼吸器を外してと言っていた」。だからこそ嘱託殺人事件は人ごとと思えなかった。「当時の私の主治医が(願いを聞き入れて)呼吸器を外していたら、私も死んでいただろう」
 転機は17年に訪れた。今の妻(35)と再婚し、長女(2)と次女(0)の2人の子どもに恵まれた。生きる希望が芽生えた。「今は世界一の幸せ者。次女が30歳になるまで生きたい」とほほ笑む。
 不幸のどん底にいれば、死の選択が頭をよぎることはある。それはALS患者でもそうでなくても変わらない。泉さんは「周囲も一緒に不幸のつらさを除く前向きな方法を考え、行動することを止めてはいけない。そうすれば、幸せな瞬間が訪れる」とした。

 「悲しかった。生きることを選んでほしかった」。嘱託殺人事件を受けて、こう語るのは佐世保市鹿町町の会社員吉村隆樹さん(55)。脳性まひで生まれつき手足が不自由だが、得意のプログラミング技術を生かし、これまでに多くの障害者対応ソフトを生み出してきた。
 ALS患者向けに、手や指を使わず、視線で反応して文章を作成する支援ソフト「ハーティーラダー」を14年に開発した。患者の「伝えたい」という思いを手助けし、生活を豊かにすることにやりがいを感じている。
 殺害された女性は、被告と会員制交流サイト(SNS)で知り合ったとされる。吉村さんは、ALS患者が生きやすくなるには身近な人とのコミュニケーションが重要だと指摘。「女性の周りには、生きる希望を持てるような働き掛けをする人がいなかったのかもしれない」と、やりきれない思いを口にした。