名画「ローマの休日」が日本で初めて上映された場所は佐世保だった-。そんな話を耳にした。どうして佐世保で? 取材を進めると、米軍基地との関わりや「映画の街」とも呼ばれた当時の佐世保の様子が浮かび上がってきた。
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教えてくれたのは長崎市に住む映画好きの男性。書籍「ローマの休日 ワイラーとヘプバーン」(1991年、朝日新聞社発行)で情報を得たという。
同書によると、米国のパラマウント映画「ローマの休日」は53年制作。54年4月27日に日比谷映画劇場(東京)で上映されて以降、「君の名は・第三部」「七人の侍」「二十四の瞳」と競うほど大ヒット。主演女優オードリー・ヘプバーンも人気爆発し、ヘプバーンの短髪スタイルを真似する女性も多かった。
東京に先立ち同年4月21日に公開されたのが、佐世保市の「佐世保富士映画劇場」。当時の新聞を調べると、同日付の九州時事新聞(後に長崎新聞と合併)の広告に「御要望に応え全国第一封切」の文字を発見した。先行公開されたのは間違いないようだ。
「ローマの休日 ワイラーとヘプバーン」の著者で映画評論家の吉村英夫さん(80)=三重県在住=に理由を尋ねてみた。吉村さんが佐世保上映の事実を知ったのは映画雑誌「キネマ旬報」の54年6月下旬号。雑誌には「日本で公開を先行したのは佐世保富士映画劇場で、成績は平凡」と確かに書かれていた。
吉村さんは「(「ローマの休日は)米国で既に公開され、知られていた。だが日本では全く無名の俳優たち。そのため、米軍基地がある佐世保か横須賀などで先に上映して様子を見る実験的な扱いだったのではないか」と推測する。
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佐世保市の文化情報紙「文化のチカラ」によると50年代、市内には20以上の映画館があったとされる。富士映画劇場は当時、洋画専門館としてオープン。佐世保シネマクラブ代表の本田将治さん(81)によると、跡地(湊町)には今、高齢者施設「ナイスケア みなとまち」が建つ。
「人口25万人ほどの地方都市でこれほど映画館が多いのは珍しいと思う」と本田さん。街の映画館には女性連れの米兵たちも頻繁に訪れた。「佐世保は地方の中でも売り上げが良く、配給会社から注目されていたのではないか」。
加えて▽富士映画劇場がパラマウント映画の受け皿だった▽東京の映画館の上映期間が何らかの理由で遅れてしまい、穴埋め的に佐世保にお鉢が回ってきた-などと自説を語った。
本田さんは54年に東京で「ローマの休日」を鑑賞。「ヘプバーンの英語の発音がすごくきれいだった」と回想し、当時購入したパンフレットを見せてくれた。「世界的に有名な映画が佐世保で初公開されたのは、非常に名誉なこと」とうれしそうに話した。
市内で現在、映画館は1カ所だけ。かつての「映画の街」の面影はすっかり薄れたが、「坂道のアポロン」「裸足の青春」など多くの作品のロケ地として、佐世保はたびたび銀幕に登場する。映画好きな人の心を引きつける魅力がこの街にはあるのかもしれない。