メクル第474号<旬感 V・ファーレン>FW毎熊晟矢選手(背番号16) 果敢な攻撃参加で恩返しを

2020/07/18 [10:41] 公開

「試合に出続けて、見てる人をワクワクさせたい」と話す毎熊選手

「試合に出続けて、見てる人をワクワクさせたい」と話す毎熊選手

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 6月27日の再開(さいかい)戦から4試合連続で先発入り。7月15日のFC琉球(りゅうきゅう)戦では前半40分、ヘディングでプロ初ゴールを挙げました。大卒ルーキーながら開幕(かいまく)5試合無敗に貢献(こうけん)しています。ポジションは主に守備(しゅび)の右サイドバック。幼(おさな)い頃(ころ)からずっとFWだった身には大きなチャレンジです。
 コンバートを伝えられたのは開幕前のキャンプ。最初の練習試合でFWを務(つと)めて2得点し、手応(てごた)えを感じていた時でした。「明日の練習試合はサイドバックで」。全く経験(けいけん)がなく、どう動いていいかも分からない中、懸命(けんめい)にプレーしました。
 「身体能力(のうりょく)が高く、中盤(ちゅうばん)やサイドで生きるのではと思った。(実際(じっさい)に)可能性(かのうせい)を示(しめ)してくれた」と手倉森誠監督(てぐらもりまことかんとく)。元々アタッカーだから攻撃(こうげき)参加ができ、長い距離(きょり)も迷(まよ)いなく前に出ていける毎熊(まいくま)選手の判断(はんだん)力を高く評価(ひょうか)しました。
 当初「本当は前をやりたい」と思っていた毎熊選手。でも「前も後ろもやれたらいい経験になる」と、守備陣(しゅびじん)にアドバイスを求めて実践(じっせん)。新型コロナウイルス感染拡大(かんせんかくだい)に伴(ともな)うリーグ中断(ちゅうだん)も、自分の動きを突(つ)き詰(つ)めるいい時間になったそうです。
 先発した再開戦。前半5分、右サイドを駆(か)け上がってボールを受けました。1対1で仕掛(しか)け、ゴール前に低くて速いパスを供給(きょうきゅう)。先制(せんせい)点をアシストしました。まさに狙(ねら)い通りでした。
 長崎市出身。高校は「厳(きび)しい環境(かんきょう)に身を置きたい」と自ら望み、強豪(きょうごう)の東福岡(ふくおか)高(福岡市)に進みました。親元を離(はな)れ、厳しい練習と寮(りょう)生活を送る中、技術(ぎじゅつ)面に加えて「人としてメンタルが鍛(きた)えられた」そうです。インターハイと全国高校選手権(せんしゅけん)で2冠(かん)を果たした高校生活が、プロで生き抜(ぬ)く礎(いしずえ)になっています。
 大学では2年から活躍(かつやく)。3年時に関西学生リーグで18得点しました。昨年10月16日、自身22歳(さい)の誕生日(たんじょうび)にV長崎への加入内定を発表。目標にしていたプロの道を歩み始めました。
 くしくも背番号(せばんごう)は誕生日と同じ16。そして、本県出身の吉岡雅和(よしおかまさかず)選手から引き継(つ)いだ番号でもあります。
 地元クラブの一員として「長崎を盛(も)り上げる」と色紙に書きました。その言葉の裏(うら)にあるのは「コロナの影響(えいきょう)で、県民みんなが自粛(じしゅく)してくれたおかげで自分たちはサッカーができている。だから恩返(おんがえ)しがしたい」という強い思い。これからも、果敢(かかん)な攻撃参加でワクワクさせてくれるに違(ちが)いありません。

◎プロフィル

 まいくま・せいや 1997年10月16日生まれ。長崎市立城山(しろやま)小-市立淵(ふち)中-東福岡高-桃山(ももやま)学院大。少年時代はJFCレインボー長崎、ブリストルU-15でプレー。高校3年の全国高校選手権決勝で、当時国学院久我山(くがやま)(東京都)の名倉巧(なぐらたくみ)選手(現V長崎)と対戦。実家の愛犬チワワの「ニコちゃん」が癒(い)やし。179センチ、69キロ。22歳。