長崎市西泊町の市立西泊中(西田篤史校長)は、19年前に起きた事故の記憶を学校オリジナルの愛唱歌として継承している。亡くなった生徒を悼む遺族の思いに突き動かされ、事故後に赴任した校長が発案した。
掃除の時間、校舎に歌が響く。16年間変わらない光景。「港を渡る大きな橋は 青春のスタートライン 涙こらえ 大人への道 一歩ずつ歩き出す」
タイトルは「海が見える教室」。学校に程近い女神大橋をイメージさせる歌詞が特徴。まだ橋を建設していた2001年8月、工事車両の事故で亡くなった同校の男子生徒=当時(13)=をしのび、04年に制作された。
その年、校長として赴任した増田登さん(66)=島原市=は稲佐署(当時)を訪問し、3年前に部活を終えて帰宅中だった男子生徒が大型クレーン車に巻き込まれたと知り、交通安全教育に尽力することが校長としての使命だと自覚した。
増田さんが暮らすアパートから、事故現場に建てられた石碑が見えた。毎朝、男子生徒の母が花を手向ける姿を目にして、胸を締め付けられる思いだったという。「事故を埋もれさせては遺族に申し訳ない」。在学していた男子生徒の妹と個別に話したときには「あの橋のためにお兄ちゃんは亡くなった。橋が完成しても絶対渡りたくない」と言われた。増田さんは複雑な思いだったが、教室から海を眺めるうちに「いつかあの橋を渡って世界にはばたいてほしい」と願うようになった。
増田さんらは長崎市のプロミュージシャン「ヒロ ヤマモト」さんに楽曲制作を依頼した。ヤマモトさんは事故の経緯を踏まえつつ「生徒には涙や悔しさを昇華し、前へ進んでほしい」という思いで、前向きな楽曲に仕上げたという。
「海が見える教室」はその後、正式に同校の愛唱歌になり、今でも市中学校連合音楽会で歌うほど生徒に親しまれている。歌となった事故のことは在校生も知っており、石碑の前を通るときは誰もが一礼する伝統が引き継がれている。同校3年の谷川汀(なぎさ)さん(15)は「歌と事故がつながる。事故に遭う人が出ないようにしていきたい」、田川陽向(ひなた)さん(14)は「事故を忘れず、西泊の伝統をつないでほしい」と話した。
災害や事件・事故を継承し後世に教訓を伝えることは難しい課題だ。増田さんは、歌を毎日流して日常化したことが記憶を継承する鍵になったと考える。「あの時やってよかった。生徒の尊い命が、今も後輩たちに引き継がれている」。きょうも校舎には音楽と生徒の笑い声が響く。
歌でつなぐ事故の記憶 長崎・西泊中の愛唱歌「海が見える教室」 「港を渡る大きな橋は 青春のスタートライン 涙こらえ 大人への道 一歩ずつ歩き出す」
2020/06/29 [13:00] 公開