「目標を失った」「判断を先送りしてほしかった」「仕方ない」「甲子園の代わりはない」-。全国高校野球選手権の戦後初の中止が決まった20日、県内の選手や指導者からも悲痛な声が相次いだ。
春の甲子園出場が幻と消えた創成館の選手たちは「夏こそは」と信じて練習を重ねてきた。選抜出場を確実にした昨秋からこの日まで、練習場には多くの報道陣が詰め掛けるなど注目されてきたが、ついに、その舞台でプレーを披露することはできなくなった。
選手たちは中止の正式発表を前に練習を終え、寮で結果を受け止めた。稙田龍生監督は「みんな甲子園だけを考えてやってきた。チームの成長を見たかったというのが一番。このまま終わっていいのか」と悔しさをにじませた上で「ここは社会に出るためのウオーミングアップ。今すぐは無理だが、切り替えて、全力で選手たちと向き合いたい」と言葉をつないだ。
昨夏を含めて県内最多となる春夏計23度の甲子園出場を誇る海星の加藤慶二監督は、自身も広島工時代に主将として夏の甲子園でプレー。「甲子園がなければ、ここまで野球人口は多くなかったはず。指導者としてそれ(中止)も想定して、選手に掛ける言葉をずっとシミュレーションしてきたが、答えは何もない」と嘆いた。
誰よりつらいのが選手たち。その場所に立てるのは県内1校だけだが、甲子園という大目標は何よりの原動力だった。
昨秋の県大会で創成館と0-1の好勝負を演じた長崎商の相川晃甫主将は「受け入れることが難しい。今年は創部100周年で絶対に勝たないといけない、自分たちの力を出せれば勝てる、と自信をつけてきた」。やり場のない気持ちを押し殺して「現実は変わらないので、やり切ったと感じて引退できるように一日一日を過ごしていく」と気丈に前を向いた。
3年前の夏の甲子園に出場した波佐見の平石真之介主将は「先輩たちの姿に憧れて入学した。この夏に懸けていたのでショック」と率直に話し「みんなで頑張ってきた成果をどこかで出せれば。もし、代替の県大会を開いてくださるのなら優勝して恩返ししたい」と望んだ。
県高野連は今後の対応を22日に協議する予定。黒江英樹理事長は「3年生を中心に、代替大会の開催を前向きに検討していく」と話した。