雲仙・普賢岳が198年ぶりに噴火してから34年となる17日、噴火災害への対応に当たった元島原市職員の内嶋善之助さん(71)が記憶の継承をテーマに、同市内で民話や自作の詩を朗読する。「防災に向けた伝承の一助になれば」と来場を呼びかけている。
内嶋さんは1972年に市職員に採用。幼少期から物語が好きで、島原文化会館に勤務時は島原天草一揆に着想を得た戯曲を自費出版した。以来、朗読詩や舞台など約160作品を創作している。
90年11月17日。内嶋さんは商工観光課に勤務していた。市内で東京のテレビ局員を案内中に噴火を知り、雲仙へ急行した。普賢岳から白い噴煙が立ち上っているのを目撃し、写真を撮影。噴煙以外に目立った変化はなく、同僚は「観光客が増えるか減るか」と語っていたという。
普賢岳が噴火したのは、噴火に伴う地震で眉山が崩落した江戸時代の「島原大変」(1792年)以来のことだった。島原大変では山崩れと津波で有明海沿岸の約1万5千人が死亡したとされる。
内嶋さんは幼い頃に母の寝物語で聞いた島原大変の民話が頭から離れず、11日後に眉山に登った。当時の切り立った断崖を目の当たりにし「いつ崩れても不思議ではない」とおののいた。
平成の噴火では、眉山は崩れなかったが、1991年6月に発生した大火砕流で43人が犠牲となり、2年後には1人が亡くなった。内嶋さんは避難所運営などに携わり、噴火災害をテーマにした創作を始めた。
朗読会は2部構成。1部で民話、2部では詩を上演する。1部は、島原市出身の作家宮﨑康平が雲仙火山成り立ちの伝説を台本化した「三岳三太郎の物語」と、島原大変を巡る悲話を内嶋さんが翻案した「幸庵とおすわ」を披露。2部は、昨年書き下ろした朗読詩「普賢岳モノクローム」を、知人が撮影した災害当時の写真などを背景に読み上げる。
内嶋さんは「物語は感情を揺さぶり、印象を記憶に残す。災害を巡る創作は世代を超えて記憶を伝える人々の知恵なのだろう」と話している。
17日午後1時から、島原市城内1丁目の島原図書館で開催。所要時間は約2時間。入場無料。問い合わせは内嶋さん(電090・3663・9935)。
内嶋さんは1972年に市職員に採用。幼少期から物語が好きで、島原文化会館に勤務時は島原天草一揆に着想を得た戯曲を自費出版した。以来、朗読詩や舞台など約160作品を創作している。
90年11月17日。内嶋さんは商工観光課に勤務していた。市内で東京のテレビ局員を案内中に噴火を知り、雲仙へ急行した。普賢岳から白い噴煙が立ち上っているのを目撃し、写真を撮影。噴煙以外に目立った変化はなく、同僚は「観光客が増えるか減るか」と語っていたという。
普賢岳が噴火したのは、噴火に伴う地震で眉山が崩落した江戸時代の「島原大変」(1792年)以来のことだった。島原大変では山崩れと津波で有明海沿岸の約1万5千人が死亡したとされる。
内嶋さんは幼い頃に母の寝物語で聞いた島原大変の民話が頭から離れず、11日後に眉山に登った。当時の切り立った断崖を目の当たりにし「いつ崩れても不思議ではない」とおののいた。
平成の噴火では、眉山は崩れなかったが、1991年6月に発生した大火砕流で43人が犠牲となり、2年後には1人が亡くなった。内嶋さんは避難所運営などに携わり、噴火災害をテーマにした創作を始めた。
朗読会は2部構成。1部で民話、2部では詩を上演する。1部は、島原市出身の作家宮﨑康平が雲仙火山成り立ちの伝説を台本化した「三岳三太郎の物語」と、島原大変を巡る悲話を内嶋さんが翻案した「幸庵とおすわ」を披露。2部は、昨年書き下ろした朗読詩「普賢岳モノクローム」を、知人が撮影した災害当時の写真などを背景に読み上げる。
内嶋さんは「物語は感情を揺さぶり、印象を記憶に残す。災害を巡る創作は世代を超えて記憶を伝える人々の知恵なのだろう」と話している。
17日午後1時から、島原市城内1丁目の島原図書館で開催。所要時間は約2時間。入場無料。問い合わせは内嶋さん(電090・3663・9935)。