パリ五輪ゴルフ・松山英樹 ルーツは長崎県諫早 いとこの功一さん「亡き父と一緒にエール」

2024/08/02 [11:30] 公開

2021年12月、闘病中だった伯父のお見舞いに訪れた松山英樹(上段右から2人目)。伯父にグリーンジャケットを着せて記念撮影=諫早市内

2021年12月、闘病中だった伯父のお見舞いに訪れた松山英樹(上段右から2人目)。伯父にグリーンジャケットを着せて記念撮影=諫早市内

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「今からおじちゃんのところ行ってもいい?」
 米国で活躍するプロゴルファーの松山英樹(32)から、諫早市で石材店を営むいとこの松山功一さん(49)に電話があったのは、東京五輪が開催された2021年の暮れだった。ツアーの合間に、スポンサー回りで一時帰国しているということだった。
 「おじちゃん」とは功一さんの父、博さん。数年間、がん闘病を続けていたが、ちょうど年末年始で一時退院していた。「あした、お客さんが来ることになったけん」。功一さんは、余命わずかな父を喜ばせようと、あえて誰かは明かさなかった。
 愛媛県で生まれ育った松山のルーツは諫早市にある。父方の祖父、長市さんが戦後間もないころに諫早市で石材店を創業。次男の博さんが家業を継ぎ、松山の父である四男の幹男さんも愛媛に引っ越す前はそこで働いていた。今は3代目の功一さん家族が暮らす「本家」に、松山も幼少期からよく里帰りしていた。
 博さんは大の松山ファンだった。テレビのゴルフ専門チャンネルで毎試合、おいっ子の試合を観戦。大会終了後、最新の世界ランキングが発表される前に、いち早く点数を計算して「また一つ順位が上がるばい」とうれしそうに話していた。
 「お客さんが来らしたばい。誰でしょう」。翌日、功一さんがそう言って寝室の扉を開いた。松山が部屋に入ってきたとたん、それまで具合悪そうにしていた博さんがすっと布団から起き上がった。「おっ、英樹か」。18年12月、松山の結婚披露宴で愛媛を訪れた際以来の再会。うれしさのあまり、声が上ずった。
 松山はその時、あのグリーンジャケットを博さんに着せた。その年の4月に行われた世界四大大会の一つ「マスターズ・トーナメント」で優勝したときにもらった“勲章”。そこからは松山の好物だというちゃんぽんや皿うどんの出前を頼んで宴会に。3時間の滞在時間はあっという間に過ぎた。記念写真に納まる博さんは、実に楽しそうに笑っている。
 博さんが息を引き取ったのは、それから約1カ月後の22年2月1日だった。松山が会いに来てくれたことに、功一さん一家のみんなが感謝している。「帰国して愛媛の実家に帰るよりも先に顔を出してくれた。穏やかで優しくて、義理、人情、おとこ気があって。本当にいい男ですよ」。自慢のいとこのことを思うと、功一さんはいつも心が温かくなる。
 パリ五輪のゴルフは1日、競技が始まり、2大会連続出場の松山は好スタートを切った。前回は3位タイで挑んだ7人によるプレーオフに敗れて惜しくもメダルを逃している。
 「もちろんメダルを取ってほしい。それと同じくらい、記憶に残るような1打を打ってくれたらうれしい」。博さんの分まで、功一さんは思いを込めて応援する。