壱岐沖の医療搬送用ヘリコプター事故で亡くなった患者、本石ミツ子さん(86)に付き添っていた息子和吉さん(68)=いずれも長崎県対馬市厳原町=の死亡も確認され、地元には悲しみが広がった。
勤務先の60代上司によると、和吉さんは重機などの扱いにたけ、主に港湾工事の作業員として長年勤務。コツコツと仕事をする温厚な性格だった。職人としての腕を見込まれ、定年後も1年更新の再雇用契約を続け「この3月、新年度の再雇用契約を結んだばかりだった」という。
世話好きで、昨年秋ごろには田んぼの手入れをしてもらった。この上司は「こんな事故が起きるなんて…」と言葉にやるせなさをにじませた。
本石さん親子を知る近所の60代女性は、ミツ子さんから自家製の野菜を、和吉さんからはミカンをお裾分けしてもらっていたといい「温厚で親切な人たちだった」。
ミツ子さんと毎週、一緒にデイサービスに通っていた親戚の女性(82)は「仲良しでよくおしゃべりもしていた。楽しそうにリハビリをしていたのに」と唇をかむ。和吉さんについても「仕事が休みの日も山へ行く働き者。優しいあんちゃんだった」と惜しんだ。
事故で死亡した医師、荒川渓さん(34)は長崎大出身。同大は7日、「地域医療の要として極めて重要な役割を担ってこられた中での事故に、深い無念と哀惜の念を抱いております」などとする永安武学長のコメントを発表した。
勤務先の60代上司によると、和吉さんは重機などの扱いにたけ、主に港湾工事の作業員として長年勤務。コツコツと仕事をする温厚な性格だった。職人としての腕を見込まれ、定年後も1年更新の再雇用契約を続け「この3月、新年度の再雇用契約を結んだばかりだった」という。
世話好きで、昨年秋ごろには田んぼの手入れをしてもらった。この上司は「こんな事故が起きるなんて…」と言葉にやるせなさをにじませた。
本石さん親子を知る近所の60代女性は、ミツ子さんから自家製の野菜を、和吉さんからはミカンをお裾分けしてもらっていたといい「温厚で親切な人たちだった」。
ミツ子さんと毎週、一緒にデイサービスに通っていた親戚の女性(82)は「仲良しでよくおしゃべりもしていた。楽しそうにリハビリをしていたのに」と唇をかむ。和吉さんについても「仕事が休みの日も山へ行く働き者。優しいあんちゃんだった」と惜しんだ。
事故で死亡した医師、荒川渓さん(34)は長崎大出身。同大は7日、「地域医療の要として極めて重要な役割を担ってこられた中での事故に、深い無念と哀惜の念を抱いております」などとする永安武学長のコメントを発表した。