184センチの長身から繰り出す強気のブロックと迫力満点の速攻。ゴーグルを装着したスタイルでも印象的なバレーボール女子日本代表の荒木彩花(22)=久光=を、祖父の竹平和則さん(78)は長崎県長崎市の自宅から見守る。「けがばっかりしよったけん、五輪に出られるだけでうれしかですよ」。普段は午後9時前に床に就いているが、28日のポーランドとの初戦は少し夜更かししてテレビ観戦するつもりだ。
長崎市高浜町、軍艦島を望む海沿いに荒木の母方の祖父、竹平さんの自宅はある。荒木は長崎南高出身の長女の娘。「彩花もそこらへんの砂浜で遊びよったよ」。竹平さんは孫の話になると自然と顔がほころぶ。「自分も肩は強い方で高浜中学のピッチャーやったとさ」「顔もよう似とるって言われてねえ」「彩花は生まれた時から4000グラム以上あったよ」
日本代表のユニホーム、新聞記事、久光のポスター、マフラータオル。玄関や居間はバレーグッズが所狭しと飾られている。
妻の涼子さんは11年前に病気で他界。荒木がバレーを始めたのが中学入学後だったため、孫の活躍を知らないまま亡くなった。「彩花が日本代表に入ったばい」。仏壇に活躍を報告するのが1人暮らしの竹平さんの日課になっている。暇を持て余す日は、2020年の全日本高校選手権(春高バレー)で荒木が主将を務める東九州龍谷高(大分)が優勝した時のビデオを繰り返し見て過ごす。
福岡県大野城市出身の荒木。20年のVリーグ入り後はけがに泣かされてきた。21年に外国人選手の打球が右目を直撃。以来、予防のためにゴーグルをつけるようになった。同年は右膝半月板損傷の大けがも負い、代表デビューとなった昨年のネーションズリーグで右足首を負傷。今年1月には左手を骨折した。そんな試練を乗り越えて五輪代表をつかんだ孫を、竹平さんは誇らしく思う。「昔から兄ちゃんとか、いとこ兄弟の男たちに交じって活発に遊びよった。ガッツがあったもんね」
佐賀や福岡でVリーグの試合がある日は、隣に住む娘夫婦(荒木の叔母夫婦)の車で応援に行くようにしているが、試合後はファンサービスが続くため、いつも言葉を交わせないまま会場を後にする。けがをした時も、電話したい気持ちを抑えて陰ながら復帰を願ってきた。
「日本のために頑張れ、頑張れ。もう、それだけですよ」。自慢の孫が「日本の壁」として相手国の前に立ちはだかる姿を、竹平さんは楽しみに待っている。
長崎市高浜町、軍艦島を望む海沿いに荒木の母方の祖父、竹平さんの自宅はある。荒木は長崎南高出身の長女の娘。「彩花もそこらへんの砂浜で遊びよったよ」。竹平さんは孫の話になると自然と顔がほころぶ。「自分も肩は強い方で高浜中学のピッチャーやったとさ」「顔もよう似とるって言われてねえ」「彩花は生まれた時から4000グラム以上あったよ」
日本代表のユニホーム、新聞記事、久光のポスター、マフラータオル。玄関や居間はバレーグッズが所狭しと飾られている。
妻の涼子さんは11年前に病気で他界。荒木がバレーを始めたのが中学入学後だったため、孫の活躍を知らないまま亡くなった。「彩花が日本代表に入ったばい」。仏壇に活躍を報告するのが1人暮らしの竹平さんの日課になっている。暇を持て余す日は、2020年の全日本高校選手権(春高バレー)で荒木が主将を務める東九州龍谷高(大分)が優勝した時のビデオを繰り返し見て過ごす。
福岡県大野城市出身の荒木。20年のVリーグ入り後はけがに泣かされてきた。21年に外国人選手の打球が右目を直撃。以来、予防のためにゴーグルをつけるようになった。同年は右膝半月板損傷の大けがも負い、代表デビューとなった昨年のネーションズリーグで右足首を負傷。今年1月には左手を骨折した。そんな試練を乗り越えて五輪代表をつかんだ孫を、竹平さんは誇らしく思う。「昔から兄ちゃんとか、いとこ兄弟の男たちに交じって活発に遊びよった。ガッツがあったもんね」
佐賀や福岡でVリーグの試合がある日は、隣に住む娘夫婦(荒木の叔母夫婦)の車で応援に行くようにしているが、試合後はファンサービスが続くため、いつも言葉を交わせないまま会場を後にする。けがをした時も、電話したい気持ちを抑えて陰ながら復帰を願ってきた。
「日本のために頑張れ、頑張れ。もう、それだけですよ」。自慢の孫が「日本の壁」として相手国の前に立ちはだかる姿を、竹平さんは楽しみに待っている。