「島原城跡」「越高遺跡(対馬)」を国史跡に 文化審議会が阿部文科相に答申

長崎新聞 2024/12/21 [11:54] 公開

築城当時の堀や石垣が残っている「島原城跡」。天守閣は1964年の再建=島原市城内1丁目

築城当時の堀や石垣が残っている「島原城跡」。天守閣は1964年の再建=島原市城内1丁目

  • 築城当時の堀や石垣が残っている「島原城跡」。天守閣は1964年の再建=島原市城内1丁目
  • 越高遺跡から出土した「方形炉」の跡=対馬市上県町(対馬市提供)
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文化審議会(島谷弘幸会長)は20日、共に県史跡の「島原城跡」(島原市)と「越高遺跡」(対馬市)を、国史跡に指定するよう阿部俊子文部科学相に答申した。答申通り告示される見通しで、県内の国指定史跡は計31件になる。
 島原城は初代島原藩主の松倉重政が1618年から約7年かけて築城。本丸や藩主御殿の外に家臣の屋敷群を置き、31棟の櫓(やぐら)を配する石垣で囲った堅固な構造。往時の広さは約40万平方メートルあり、うち約8万平方メートルが史跡に指定される。37年の島原・天草一揆(島原の乱)では攻めてきた数千人に及ぶ一揆勢を撃退した。
 築城当時の石垣や堀などが残り「江戸幕府が新規築城を制限した中で築かれた数少ない城郭。江戸初期の島原半島や周辺地域との関わりの歴史を伝える重要な遺跡」と評価された。
 越高遺跡は縄文時代早期末から前期(約7200~6400年前)の対馬最古の集落遺跡。対馬市上県町の海岸に位置し、発掘調査では朝鮮半島南部の土器群のほか、同地の遺跡で見られる「方形炉」の跡などが出土。当時の九州と朝鮮半島の交流がうかがえ「縄文文化の多様性を具体的に示す重要な遺跡」とされた。
 文化審議会はこのほか、琉球式グスク(城)跡「与論城跡」(鹿児島県与論町)など4件の史跡指定と、湧泉で形成された景勝地「納池(のいけ)」(大分県竹田市)の名勝指定も求めた。

 文化審議会の主な答申内容は次の通り。かっこ内は所在地。
 【史跡の新指定】松倉城跡(岐阜県高山市)▽前畑遺跡(福岡県筑紫野市)▽島原城跡(島原市)▽越高遺跡(対馬市)▽臼杵城跡(大分県臼杵市)▽与論城跡(鹿児島県与論町)
 【名勝の新指定】納池(大分県竹田市)
 【登録記念物の新登録】明神山(奈良県王寺町)▽丸井氏庭園(鳥取県倉吉市)▽上林の風穴(愛媛県東温市)▽穴井戸観音(大分県豊後高田市)