130年ほったらかしにしない接客 バッグの市丸が閉店 後継者不在、ビル老朽化 長崎

2024/07/03 [11:09] 公開

「お客さまあってこそ長く続いた」と話す市丸社長=長崎市、バッグの市丸

「お客さまあってこそ長く続いた」と話す市丸社長=長崎市、バッグの市丸

  • 「お客さまあってこそ長く続いた」と話す市丸社長=長崎市、バッグの市丸
  • 1949年の火災で全焼後、バラック小屋で化粧品などの販売を始めた同店=長崎市万屋町(市丸提供)
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1892(明治25)年の創業で、長崎市中心部のアーケード「ベルナード観光通り」に店を構える老舗「バッグの市丸」(万屋町)が今月中旬に閉店し、130年超の歴史に幕を下ろす。後継者の不在や自社ビルの老朽化が理由で、自社ビルは県内の不動産会社に売却するという。
 同店は市丸嘉紀社長(61)の曽祖父・芳太郎さんが、おもちゃ屋として現在地で創業。第2次世界大戦中にいったん廃業したが、終戦後の1946年にボタンや小物、化粧品の販売を再開した。
 しかし、3年後に近隣の建物から広がった火災で店舗が全焼。バラック小屋の仮店舗で再スタートを切った。82年の長崎大水害では店舗の1階部分が水没し、壊滅的な被害を受けるなど、さまざまな苦難を乗り越えて営業してきた。
 近年はクールビズの浸透でネクタイが販売不振に。ネクタイの販売を取りやめて以降、市丸社長は店頭に立つとき、必ずネクタイを締める。商売人の意地、抵抗でもある。
 創業当時からのこだわりは「ほったらかしにしない接客」。客へアドバイスをしているうちに世間話が弾むことも。「これは130年たった今でも変わらない」と目を細める。
 5月から閉店セールを始めた。店頭に並ぶバッグや財布など約2千点の商品は最大で7割引きに。閉店が決まってからは別れを惜しむ常連客がひっきりなしに訪れた。市丸社長は「改めて大切にされてきた店だと実感した。お客さまあってこそ長く続いた。感謝しかない」と感慨深げに語った。