世界最高峰の自動車レース「フォーミュラワン(F1)」を夢見て、長崎市出身の若きレーシングドライバーが全国の舞台で戦っている。清水啓伸(19)は高校3年生だった昨年から、トップドライバーへの登竜門と位置付けられている「FIA-F4選手権」に参戦。2年目の今季第6戦(8月4日・富士スピードウェイ)で念願の初優勝を飾った。長大付小3年でレーシングカートを始め、自然と抱くようになった「F1ドライバー」への夢。そこへたどり着くために、今年はF4のシリーズチャンピオン(年間王者)を目標に掲げ、次なるカテゴリー「F3」へ加速している。
◆地獄の1年
F4参戦1年目の昨年は「地獄の1年」だった。2022年にフォーミュラカーの入門カテゴリー「スーパーFJ」の日本一決定戦で優勝。練習ではF4のレースで上位の選手よりも速く走り、自信はあった。
だが、シーズンが始まると思うような結果が出ない。年間14戦の中で、最高は第2戦の11位。10位台中盤が定位置で、20位台後半に沈むこともあった。「自分の走りが悪いのか。それとも車が悪いのか。何をするべきなのかが分からなかった」。昨年の今ごろは、レースをやめようかとさえ考えるぐらい悩んだ。
ここを踏みとどまらせたのは、大きな「後悔」だった。ホンダの育成ドライバーを選抜するレーシングスクール。最初の8人に選ばれ、さらにしぼられた4人の中にも入ったが、最後の1人に残れなかった。「もうちょっと頑張っていれば、やっておけば、チャンスはあったんじゃないか」。そんな22年の後悔を忘れずに、精神的に追い込まれながらも1年間を戦い抜いた。
◆粘り抜いて
「ラストチャンス。やるしかない」と迎えた今季。5月の第1戦(富士スピードウェイ)で4位に入ると、翌日の第2戦は2位。6月の第3、4戦(鈴鹿サーキット)はいずれも5位で8月の第5、6戦(富士スピードウェイ)を迎えた。
第5戦は4番手の位置からスタート。練習走行から調子が良く、レースの中で前に出られるという自信もあったため、慎重にスタートを切った。結果的に「それが失敗になってしまった」。接近戦で抜き合う「バトル」で、思うようにライバルたちを追い越せないままレースは終わった。結果は4位。また、悔いが残った。
翌日の第6戦も4番手の位置からスタート。ただ、前日とは違って「スタートから(積極的に)行くと決めていた」。すぐに3番手に上がり、前の2台がバトルを繰り広げた中で、1周目を終えて2番手に。8周目ぐらいでトップに立った。「本当に先頭を走っているんだ」と考えながら周回を重ねた。
富士スピードウェイの1周約4・6キロは1分50秒程度で走り抜くが、追われる立場になると、2倍くらいの時間を走っている感覚だった。そこを粘り抜いて念願の初優勝。ウイニングランの半周くらいは余韻に浸ることができた。
◆年間王者を
これまで苦しい思いをして、失敗を重ねたからこそ、今があると思う。今季は8レースを残して、各レースの獲得ポイントで競う年間順位で3位につける。2位とは同点、1位とは4点差。ステップアップに不可欠な年間王者を目指し、まずは次のレースで優勝を狙っていく。
最終的な夢は最高峰のF1。「ものすごく高い壁だと年々感じている。でも、やっぱり世界で戦いたい。F1ドライバーになりたいなって」。現在、日本人唯一のF1ドライバー角田裕毅(24)もF4から駆け上がっていった。直線を230キロ超のスピードで走り抜けるF4。その道は、確かに夢へつながっている。
【略歴】しみず・ひろのぶ モータースポーツ観戦が好きな父親の啓宗さんの影響で、長大付小3年でレーシングカートを始める。長大付中1年から本格的にレーサーを目指して全国の舞台に挑戦。カートで実績を残して、2022年に高校2年でフォーミュラカーに転向。スーパーFJ日本一決定戦でチャンピオンに輝いた。23年からFIA-F4選手権に参戦。24年シリーズの第6戦で初優勝を飾った。「Drago CORSE(ドラゴ・コルセ)」所属。青山学院大在学中。長崎市出身。19歳。
◆地獄の1年
F4参戦1年目の昨年は「地獄の1年」だった。2022年にフォーミュラカーの入門カテゴリー「スーパーFJ」の日本一決定戦で優勝。練習ではF4のレースで上位の選手よりも速く走り、自信はあった。
だが、シーズンが始まると思うような結果が出ない。年間14戦の中で、最高は第2戦の11位。10位台中盤が定位置で、20位台後半に沈むこともあった。「自分の走りが悪いのか。それとも車が悪いのか。何をするべきなのかが分からなかった」。昨年の今ごろは、レースをやめようかとさえ考えるぐらい悩んだ。
ここを踏みとどまらせたのは、大きな「後悔」だった。ホンダの育成ドライバーを選抜するレーシングスクール。最初の8人に選ばれ、さらにしぼられた4人の中にも入ったが、最後の1人に残れなかった。「もうちょっと頑張っていれば、やっておけば、チャンスはあったんじゃないか」。そんな22年の後悔を忘れずに、精神的に追い込まれながらも1年間を戦い抜いた。
◆粘り抜いて
「ラストチャンス。やるしかない」と迎えた今季。5月の第1戦(富士スピードウェイ)で4位に入ると、翌日の第2戦は2位。6月の第3、4戦(鈴鹿サーキット)はいずれも5位で8月の第5、6戦(富士スピードウェイ)を迎えた。
第5戦は4番手の位置からスタート。練習走行から調子が良く、レースの中で前に出られるという自信もあったため、慎重にスタートを切った。結果的に「それが失敗になってしまった」。接近戦で抜き合う「バトル」で、思うようにライバルたちを追い越せないままレースは終わった。結果は4位。また、悔いが残った。
翌日の第6戦も4番手の位置からスタート。ただ、前日とは違って「スタートから(積極的に)行くと決めていた」。すぐに3番手に上がり、前の2台がバトルを繰り広げた中で、1周目を終えて2番手に。8周目ぐらいでトップに立った。「本当に先頭を走っているんだ」と考えながら周回を重ねた。
富士スピードウェイの1周約4・6キロは1分50秒程度で走り抜くが、追われる立場になると、2倍くらいの時間を走っている感覚だった。そこを粘り抜いて念願の初優勝。ウイニングランの半周くらいは余韻に浸ることができた。
◆年間王者を
これまで苦しい思いをして、失敗を重ねたからこそ、今があると思う。今季は8レースを残して、各レースの獲得ポイントで競う年間順位で3位につける。2位とは同点、1位とは4点差。ステップアップに不可欠な年間王者を目指し、まずは次のレースで優勝を狙っていく。
最終的な夢は最高峰のF1。「ものすごく高い壁だと年々感じている。でも、やっぱり世界で戦いたい。F1ドライバーになりたいなって」。現在、日本人唯一のF1ドライバー角田裕毅(24)もF4から駆け上がっていった。直線を230キロ超のスピードで走り抜けるF4。その道は、確かに夢へつながっている。
【略歴】しみず・ひろのぶ モータースポーツ観戦が好きな父親の啓宗さんの影響で、長大付小3年でレーシングカートを始める。長大付中1年から本格的にレーサーを目指して全国の舞台に挑戦。カートで実績を残して、2022年に高校2年でフォーミュラカーに転向。スーパーFJ日本一決定戦でチャンピオンに輝いた。23年からFIA-F4選手権に参戦。24年シリーズの第6戦で初優勝を飾った。「Drago CORSE(ドラゴ・コルセ)」所属。青山学院大在学中。長崎市出身。19歳。