島原城跡を幕末期の姿に 水堀またぐ「廊下橋」復元へ 屋根付き通路、本丸と二ノ丸結ぶ

長崎新聞 2025/02/15 [12:00] 公開

かつて本丸(左側)と二ノ丸を結んでいた「廊下橋」の復元イメージ図(監修・名古屋市立大の千田嘉博教授、イラスト・城郭復元画家の富永商太氏)

かつて本丸(左側)と二ノ丸を結んでいた「廊下橋」の復元イメージ図(監修・名古屋市立大の千田嘉博教授、イラスト・城郭復元画家の富永商太氏)

  • かつて本丸(左側)と二ノ丸を結んでいた「廊下橋」の復元イメージ図(監修・名古屋市立大の千田嘉博教授、イラスト・城郭復元画家の富永商太氏)
  • 本丸(天守周辺)などの一部を幕末期の姿に復元する方針が示された島原城跡(島原市提供)
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国史跡に指定される見通しの「島原城跡」(長崎県島原市)に関し、島原市教委は14日、市内で開いた市総合教育会議で、本丸や二ノ丸の一部を幕末期の姿に復元していく方針を明らかにした。本丸と二ノ丸を結び、本丸への唯一の通路だった「廊下橋」の復元を目指す。

 市教委は今後、島原城跡の保存活用と整備の計画をそれぞれ策定。ハード、ソフト両面で整備を進めていく。
 江戸期の絵図によると、廊下橋は二ノ丸北側と本丸南側間の水堀をまたぐ屋根付きの橋。間口は約5・4メートル、長さ約24メートル。市教委は昨年、「築城400年」記念事業の一環で、名古屋市立大の千田嘉博教授(城郭考古学)や城郭復元画家・富永商太氏の協力を得て、廊下橋の復元図を作成していた。
 廊下橋整備のほか、堀に水を張るなどして、幕末の大政奉還(1867年)ごろの姿に近づけることを検討する。
 現在、本丸の駐車場に通じる車道は昭和期に堀を埋め立てて整備した。会議に出席した古川隆三郎市長は取材に対し、火災時などに緊急車両が通行するために車道を残す考えを示した。廊下橋の復元について「文化庁や専門家の意見をうかがい、中長期にわたる計画を構築していく」と語った。
 市教委によると、島原城は初代島原藩主松倉重政が江戸前期の1618年から約7年かけて築城。南から北へ本丸、二ノ丸、三ノ丸を直線的に配置し、東西約360メートル、南北約1260メートルと広大だった。1873(明治6)年の廃城令前後に廃城となり、本丸の天守は76(明治9)年ごろに解体された。現在の天守は1964年に建築した。