ローマ教皇フランシスコの死去が伝えられた21日、県内にも驚きや悲しみが広がった。被爆地の広島と長崎を訪問して核兵器廃絶を訴え、本県キリシタン史にも心を寄せた教皇。強い絆で結ばれた本県だけに、関係者からは続々と悼む声が上がった。
「何かの間違いかと…」。教皇の教え子で日本二十六聖人記念館(長崎市西坂町)のデ・ルカ・レンゾ館長(61)はインターネット上で訃報に触れ、信じられなかった。21日朝のネット中継で、復活祭の式典に加わる師の姿を見ていたからだ。「ただ、とても苦しそうな表情で、祝福を与えるだけで大変そうだった」と声を落とした。
教皇と同じアルゼンチン出身。17歳の頃に出会い、神学校で教えを受けた。40年前、宣教師として日本に派遣された際には、教皇から「私は日本に行きたくても行けなかった。ありがたいと思いなさい」と言葉を贈られた。
その後も手紙などで連絡を取り合い、潜伏キリシタンの歴史も「(教皇は)心に留めていた」という。2019年11月に教皇が長崎を訪れた際には、通訳などとして帯同。昨秋、バチカンでの謁見(えっけん)が最後になった。「広い心で弱さを受け止め、導いてくれた。まだ心の整理ができないが、彼のメッセージを伝えていく」と語った。
「核兵器のない世界は可能であり必要」-。教皇は長崎の爆心地で力強く訴えた。第22代高校生平和大使を務めた内山洸士郎さん(22)は、その場で教皇にろうそくを手渡した。「声をかけられたわけではないが、平和大使を応援してくれる気持ちが伝わった」と振り返る。
現地で演説を聞いた長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(84)は「『核兵器はなくすべきだ』という願いは私たちと同じだった。しかし核保有国の指導者に思いは伝わらず、いまだに戦争が続いている」と憂慮。「新教皇も私たちと一緒の道を歩んでくれる方であってほしい」と願った。
大村市原口町のカトリック信徒、城みどりさん(70)は、17年11月に同市の訪問団としてバチカンを訪れ、一般謁見の最前列で教皇の祝福を受けた。教皇の付き人にもらった白いロザリオはお守りとして大切に保管している。「神様の代理としてずっと私たちを守ってくださった。とても残念でならない」と悲しみを語った。
「何かの間違いかと…」。教皇の教え子で日本二十六聖人記念館(長崎市西坂町)のデ・ルカ・レンゾ館長(61)はインターネット上で訃報に触れ、信じられなかった。21日朝のネット中継で、復活祭の式典に加わる師の姿を見ていたからだ。「ただ、とても苦しそうな表情で、祝福を与えるだけで大変そうだった」と声を落とした。
教皇と同じアルゼンチン出身。17歳の頃に出会い、神学校で教えを受けた。40年前、宣教師として日本に派遣された際には、教皇から「私は日本に行きたくても行けなかった。ありがたいと思いなさい」と言葉を贈られた。
その後も手紙などで連絡を取り合い、潜伏キリシタンの歴史も「(教皇は)心に留めていた」という。2019年11月に教皇が長崎を訪れた際には、通訳などとして帯同。昨秋、バチカンでの謁見(えっけん)が最後になった。「広い心で弱さを受け止め、導いてくれた。まだ心の整理ができないが、彼のメッセージを伝えていく」と語った。
「核兵器のない世界は可能であり必要」-。教皇は長崎の爆心地で力強く訴えた。第22代高校生平和大使を務めた内山洸士郎さん(22)は、その場で教皇にろうそくを手渡した。「声をかけられたわけではないが、平和大使を応援してくれる気持ちが伝わった」と振り返る。
現地で演説を聞いた長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(84)は「『核兵器はなくすべきだ』という願いは私たちと同じだった。しかし核保有国の指導者に思いは伝わらず、いまだに戦争が続いている」と憂慮。「新教皇も私たちと一緒の道を歩んでくれる方であってほしい」と願った。
大村市原口町のカトリック信徒、城みどりさん(70)は、17年11月に同市の訪問団としてバチカンを訪れ、一般謁見の最前列で教皇の祝福を受けた。教皇の付き人にもらった白いロザリオはお守りとして大切に保管している。「神様の代理としてずっと私たちを守ってくださった。とても残念でならない」と悲しみを語った。