「父の話は地獄だった…」“原爆をつくる人々へ”市民がメッセージ 79年前の記憶刻んで 長崎

2024/08/08 [11:15] 公開

「ナガサキからの手紙」の一部抜粋

「ナガサキからの手紙」の一部抜粋

大きい写真を見る
8月9日の長崎原爆の日を前に、長崎新聞の双方向情報窓口「ナガサキポスト」のLINE(ライン)で核兵器や戦争から抜け出せない世界に宛てた“ナガサキからの手紙”を募ったところ、県内外から58通が寄せられた。その一部を紹介する。

 “原爆(核兵器)をつくる人々へ”。長崎市の60代主婦は「亡くなった父に小学生の私が聞いた原爆の話は地獄の一言。地獄は作らないで」、大村市の60代無職男性は「核兵器の被害を受けない限り、核の恐ろしさは、どこの国も分からないだろう。だからこそ広島、長崎の問題は世界的な機運で加速させねばならない」とそれぞれ危機感を示した。
     ◇
 “原爆(核兵器)を手放せない人々へ”向けても危惧する声が集まった。「核兵器を使うことなんかを軽々しく言わないでください」と県外の20代男子学生。長崎市の40代会社員男性は「被爆国でありながら、なぜ核の傘から離脱できないのか」と、日本の安全保障における政府の姿勢を指摘。「問うべきは手紙を出す誰かではなく、日本の主権者である自分自身だと思います」と続けた。
     ◇
 ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザでの戦闘など、今なお戦火が絶えない世界。“戦争をやめられない人々へ”、多くの人が思いをつづった。「この美しい地球がなくなります。戦争をやめてください」(長崎市・50代主婦)「戦争は憎しみや貧困者が増えるだけ。戦争がない世界を目指せる指導者が増えることを希望しています」(時津町・60代会社員男性)など平和を願う声が多い。大村市の20代女子学生は「あなたの欲望が全ての人の望みではありません。あなたが望んだ平和が全ての人の望みです。ナガサキから、私は平和を望みます」と寄せた。
     ◇
 その他、長崎市の30代女性は原爆当時を語れる人が減る現状を懸念し、在京のメディアに「広島原爆や長崎原爆の投下時間になったら黙とうの様子を放送し、祈りをささげてほしい」と訴えた。時津町の60代会計年度任用職員男性は“未来の子どもたちへ”思いを託した。「未来の皆さんは、今日も元気ですか?将来は何になりたいですか?聞きたいことがたくさんですが、きっと平和な毎日を過ごしているでしょう。平和を願う人々の輪は、いつの時代も広がっているから。1945年の夏に何が起きたのか、皆さんの記憶に刻んでほしい。そして、さらに未来の子どもたちへ、(平和をつなぐ)手紙を書いてもらえたらと思います」
     ◇
 アンケートは2~4日に行い、選択方式の宛名と自由記述式のメッセージを募集。県内外から20~80代が回答した。ご協力ありがとうございました。