全国2位のそうめん生産量を誇る長崎県南島原市。その特産品を地元で味わえる場所が少なかった36年前、全国でも珍しいそうめん専門店として誕生した「面喰(めんく)い」(同市西有家町)が3月末、ひっそりと店を閉じた。店主の松本満智子さん(81)は「お客さんとの触れ合いが楽しくて続けてこられた。やり切った」とすっきりした表情で語った。
平成元(1989)年。満智子さんの夫、洋三さん(2019年に77歳で死去)は当時、旧南高西有家町の商工会長で、特産品を普及させるため、関係各所に「食べる場所が必要」と訴えていた。だが、反応はいまいち。「誰もやらないなら俺が」と洋三さんが始めた店だったが、満智子さんは大反対した。「だって、そうめんじゃもうからないから」
松本さんの本業はガラス・サッシ販売業。満智子さんの予想通り、当初は1日に2、3組と閑古鳥が鳴く日も少なくなく、本業から手出しをしながら続けた。店が軌道に乗るまで「10年はかかったかな」。楽ではなかったが、洋三さんの熱意に打たれ、次第に「この店は地域に必要」と考えが変わっていったという。
厨房(ちゅうぼう)には洋三さんが立った。ゆがく時間は秒単位でこだわり、うまくできなければやり直す。「そうめんの本当のおいしさを伝えたかったんでしょうね」と満智子さん。メニューは最大50種類を数えた。
そんな洋三さんが6年前、病床に伏した。「(店を)辞めようか?」という洋三さんに「お父ちゃんの好きなようにしていいよ」と返すと、洋三さんは「じゃあ、やめる準備をするか…」とつぶやいた。亡くなる1週間前のやりとり。「でも、結局やめる準備もしないまま亡くなって…」。満智子さんはそのまま、厨房に立ち続けた。
洋三さんの死後、繁忙期の夏場には、福岡で働く3人の娘が交代で手伝いに来てくれるように。娘たちにとっても父が残した大事な場所だった。
昨年のゴールデンウイークと盆休み。店の外まで行列ができ、人であふれていた。80歳。立ちっぱなしで肩や腰は悲鳴を上げていた。体力の限界。店を閉めることを決意した。
3月31日。閉店の知らせは、入り口に小さな張り紙を貼っただけ。それでも、どこで知ったのか、なじみの客がひっきりなしに訪れた。閉店を残念がる声はありがたかったが、満智子さんに悔いはなかった。
閉店から1週間が過ぎた頃、店を訪ねた。洋三さんが設計したロッジ風の店内。柱には、洋三さんが海外旅行で集めた無数のコースターや栓抜きが飾られている。取材中、悔いはないと繰り返した満智子さんは、店内を見渡し、少しだけ、心残りを口にした。
「この雰囲気で、この味で、続けてくれる人がいたらうれしいんだけどね」
平成元(1989)年。満智子さんの夫、洋三さん(2019年に77歳で死去)は当時、旧南高西有家町の商工会長で、特産品を普及させるため、関係各所に「食べる場所が必要」と訴えていた。だが、反応はいまいち。「誰もやらないなら俺が」と洋三さんが始めた店だったが、満智子さんは大反対した。「だって、そうめんじゃもうからないから」
松本さんの本業はガラス・サッシ販売業。満智子さんの予想通り、当初は1日に2、3組と閑古鳥が鳴く日も少なくなく、本業から手出しをしながら続けた。店が軌道に乗るまで「10年はかかったかな」。楽ではなかったが、洋三さんの熱意に打たれ、次第に「この店は地域に必要」と考えが変わっていったという。
厨房(ちゅうぼう)には洋三さんが立った。ゆがく時間は秒単位でこだわり、うまくできなければやり直す。「そうめんの本当のおいしさを伝えたかったんでしょうね」と満智子さん。メニューは最大50種類を数えた。
そんな洋三さんが6年前、病床に伏した。「(店を)辞めようか?」という洋三さんに「お父ちゃんの好きなようにしていいよ」と返すと、洋三さんは「じゃあ、やめる準備をするか…」とつぶやいた。亡くなる1週間前のやりとり。「でも、結局やめる準備もしないまま亡くなって…」。満智子さんはそのまま、厨房に立ち続けた。
洋三さんの死後、繁忙期の夏場には、福岡で働く3人の娘が交代で手伝いに来てくれるように。娘たちにとっても父が残した大事な場所だった。
昨年のゴールデンウイークと盆休み。店の外まで行列ができ、人であふれていた。80歳。立ちっぱなしで肩や腰は悲鳴を上げていた。体力の限界。店を閉めることを決意した。
3月31日。閉店の知らせは、入り口に小さな張り紙を貼っただけ。それでも、どこで知ったのか、なじみの客がひっきりなしに訪れた。閉店を残念がる声はありがたかったが、満智子さんに悔いはなかった。
閉店から1週間が過ぎた頃、店を訪ねた。洋三さんが設計したロッジ風の店内。柱には、洋三さんが海外旅行で集めた無数のコースターや栓抜きが飾られている。取材中、悔いはないと繰り返した満智子さんは、店内を見渡し、少しだけ、心残りを口にした。
「この雰囲気で、この味で、続けてくれる人がいたらうれしいんだけどね」