大阪・関西万博が開幕した。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。環境、紛争、人権…人類はかつてないほど多くの、そして難解な未解決課題に直面している。この万博は人類共通の課題解決の糸口となれるだろうか。
万博は、最先端の技術や芸術を広く世界に広め、国際交流を促進するために開催される。過去の万博では、電話機や白熱電球などの発明品が世界に衝撃を与え、日本が初めて出展したパリ万博(1867年)において紹介された浮世絵は西洋絵画にも大きな影響を与えた。博覧会を舞台にした技術や文化の交流が新しい時代を開いてきたのだ。
「万博」で多くの日本人が真っ先にイメージするのは岡本太郎氏の「太陽の塔」だろう。1970年の大阪万博は6千万人超の観客を集めた。実に当時の人口の半数を超える盛況ぶりであった。
海外旅行が今ほどポピュラーではなく、インターネットも無かった当時は、海外の技術や文化に触れること自体が難しかったのだろう。何時間並んでも「月の石」を一目見たいっ…その求心力は今の万博にはない。ネットさえあれば、いつでも最先端の技術や文化に触れられる今、万博をあえて開催する意味は何なのだろうか。
実は筆者もこの大阪・関西万博の出展者の一人である。海の環境パビリオン「ブルーオーシャン・ドーム」で開催される「対馬ウィーク」で、海洋プラスチックごみをはじめとした海洋問題の解決に向けた対馬の取り組みを紹介することになっている。
このような機会を与えていただけたのは、数多くの企業が「万博に向けて」と技術開発に取り組み、その中で、課題先進地である対馬を実証実験のモデル地域にしようと声をかけてくださったからだ。企業や大学が対馬に集結し、島内の学校や事業者と連携した取り組みを加速させた。多様な主体が危機感を共有し、同じ目標を目指して協働して取り組む-その共通のターゲットであり、デッドラインであったのが、この万博なのだ。
現代では、いつでもどこでも世界中の情報にアクセスできるが故に「新たな技術の誕生」さえも新鮮さを失ってしまった。ドライブをかけるきっかけを失っている時代-と言い換えてもいいかもしれない。
新たな技術・文化に触れる場という意義は薄れても、新たな技術・文化を生み出す駆動装置として、今後も万博は意味を持ち続けるであろう。そのためにも、万博を契機として始まった取り組みを、万博で終わらせてはいけない。自戒も込めてそう思う。
【略歴】かわぐち・もとこ 1979年青森県出身。地域おこし協力隊員として対馬市に移住。一般社団法人対馬里山繋営塾代表理事。対馬グリーン・ブルーツーリズム協会事務局長。農村交流や環境教育に取り組む。北海道大大学院環境科学院博士後期課程修了。
万博は、最先端の技術や芸術を広く世界に広め、国際交流を促進するために開催される。過去の万博では、電話機や白熱電球などの発明品が世界に衝撃を与え、日本が初めて出展したパリ万博(1867年)において紹介された浮世絵は西洋絵画にも大きな影響を与えた。博覧会を舞台にした技術や文化の交流が新しい時代を開いてきたのだ。
「万博」で多くの日本人が真っ先にイメージするのは岡本太郎氏の「太陽の塔」だろう。1970年の大阪万博は6千万人超の観客を集めた。実に当時の人口の半数を超える盛況ぶりであった。
海外旅行が今ほどポピュラーではなく、インターネットも無かった当時は、海外の技術や文化に触れること自体が難しかったのだろう。何時間並んでも「月の石」を一目見たいっ…その求心力は今の万博にはない。ネットさえあれば、いつでも最先端の技術や文化に触れられる今、万博をあえて開催する意味は何なのだろうか。
実は筆者もこの大阪・関西万博の出展者の一人である。海の環境パビリオン「ブルーオーシャン・ドーム」で開催される「対馬ウィーク」で、海洋プラスチックごみをはじめとした海洋問題の解決に向けた対馬の取り組みを紹介することになっている。
このような機会を与えていただけたのは、数多くの企業が「万博に向けて」と技術開発に取り組み、その中で、課題先進地である対馬を実証実験のモデル地域にしようと声をかけてくださったからだ。企業や大学が対馬に集結し、島内の学校や事業者と連携した取り組みを加速させた。多様な主体が危機感を共有し、同じ目標を目指して協働して取り組む-その共通のターゲットであり、デッドラインであったのが、この万博なのだ。
現代では、いつでもどこでも世界中の情報にアクセスできるが故に「新たな技術の誕生」さえも新鮮さを失ってしまった。ドライブをかけるきっかけを失っている時代-と言い換えてもいいかもしれない。
新たな技術・文化に触れる場という意義は薄れても、新たな技術・文化を生み出す駆動装置として、今後も万博は意味を持ち続けるであろう。そのためにも、万博を契機として始まった取り組みを、万博で終わらせてはいけない。自戒も込めてそう思う。
【略歴】かわぐち・もとこ 1979年青森県出身。地域おこし協力隊員として対馬市に移住。一般社団法人対馬里山繋営塾代表理事。対馬グリーン・ブルーツーリズム協会事務局長。農村交流や環境教育に取り組む。北海道大大学院環境科学院博士後期課程修了。