4月末の長崎県大村市。2人の男性が趣味のカメラを手に森園公園の新緑を楽しんでいた。藤山裕太郎(39)と松浦慶太(38)。昨年6月に結婚式を挙げた同性カップルだ。今春、兵庫県尼崎市から裕太郎の実家がある長崎県に転居し、県内では数少ない「パートナーシップ宣誓制度」を導入している大村で新生活を始めた。今は笑顔を見せるが、これまでの人生が平穏だったわけではない。ずっと生きづらさを抱え、もがいてきた。
「いつばれるのだろう」
自分の性的指向はほかの男子と違う-。慶太がそう自覚したのは中学1年の時。性的な話を振ってきた友人との雑談がきっかけだった。「男が好きな自分はとんでもない存在なのだ。ばれたらやばい」。頭が真っ白になった。
以降、周りから「誰が好きなん?」と聞かれても、女子の名前を適当に挙げてごまかした。当時は自分の指向を「病気」だと思い込んでいた。「病気を治すために」と、高校時代には好きでもない異性とデートをしたりもした。罪悪感だけが残った。
実家がある三重県から東京の大学に進学。LGBTQなどの性的少数者が集う学内サークルに所属し、初めて自分の居場所を見つけた。だが、社会人になるとまた、息苦しさに襲われた。
就職した業界大手の企業。上司はゲイとうわさされる社員への嫌悪感をあからさまにした。「あいつと2人で会議室に行くなよ。襲われるぞ」「ゲイとかまじで許せない」。同僚も嘲笑した。自分のこともいつばれるだろう-。慶太は恐怖感から退職を余儀なくされた。
転機は32歳の時、裕太郎との出会いだった。交流サイト(SNS)でつながり、引かれ合った。2018年12月、介護福祉士だった裕太郎の尼崎市のアパートに転がり込み、同居を始めた。
神社で神前式
20年2月には性的少数者のカップルをパートナーとして公認する同市の「パートナーシップ宣誓制度」に申請し、受理された。法的効力はないが、家族として認められることで、公営住宅への入居などが可能になる制度だ。
申請に踏み切るきっかけになったのは慶太の救急搬送。夜中に体調を崩し、裕太郎が付き添った。大事には至らなかったが、家族ではない裕太郎は病室に呼ばれることも、医師から説明を受けることもなかった。この体験で「2人の関係が不安定な場所に立っているように感じた」(慶太)。
「同性愛は後天的な精神の障害、または依存症」-。22年、自民国会議員による神道政治連盟国会議員懇談会の会合で配布された資料に、差別的な文言が含まれていたことが報じられた。
ショックを受けた2人は問題提起の意味も込め、神社での神前式を試みた。全国30カ所以上の神社に問い合わせたが「結婚式は男と女が挙げるもの」などとけんもほろろだった。
最後の望みをかけた地元尼崎市の小さな神社だけが唯一、受け入れてくれた。迎えた人生最良の日。家族や新しい職場ではカミングアウトしていた慶太は兄や同僚らが駆けつけてくれたが、裕太郎の身内の姿はなかった。裕太郎は自身が同性愛者であることを家族に明かせないままだったからだ。
予想外の反応
裕太郎もまた、自身にふたをして生きてきた。
大人になってからは、幸せな家庭を築いていくきょうだいを横目に、取り残された孤独感にさいなまれた。周りから「結婚は?」と聞かれても「興味ない」と冷めた自分を装った。
28歳の時、実家を出て兵庫県尼崎市で1人暮らしを始めた。家族には「こっちは職が少ないし、給料も安いから」と言い繕った。古里を離れるのは本意でなかったが「自分を演じて生きていくのがつらかった」。
松浦慶太(38)との挙式から約2カ月後の2023年8月、意を決し帰省した。そして告白。反応は予想外だった。母親は「何で今まで言わんかった。苦しかったやろう」と泣き、妹や弟も喜んでくれた。
もっと早く家族に打ち明ければ良かったと悔いた。後日、実家にあいさつに訪れた慶太の手を、がん末期だった父親=昨年11月死去=は「息子になってくれてありがとう」と握り締めた。あのぬくもりを慶太は忘れられない。
「あんたのせいで台無しやわ」
対照的に、慶太の母親は息子が同性愛者であることに拒絶感をあらわにした。慶太が30歳のころ、当時の交際相手が母親にプレゼントを贈った。母親は「気持ち悪い」と吐き捨てた。
「失礼やんか」と怒る慶太に、母親は感情をむき出しにした。「私の夢はな、(あんたの)赤ちゃんを抱っこすることやった。あんたのせいで台無しやわ」。母親とはもう5、6年、音信不通だ。LINE(ライン)もブロックされている。「世間体を気にしているのだと思う。残念だけど仕方ない」
長崎県が19年、支援団体に委託し実施した性的少数者に関するアンケート。自身が性的少数者であることを「特に隠していない」とした当事者は5.1%にとどまった。カミングアウトしていない理由(複数回答)は「理解されるか不安」が63%でトップ。悩み(同)については「周囲で性的少数者に関する差別的な言動を見聞きする」が約半数を占め、地域社会に望む取り組みは「教育・啓発」が最も多かった。
今、苦しんでいる人へ
昨年6月の結婚式。慶太は、こんな謝辞を述べた。「13歳の慶太君に今日の姿を見せてあげたい。将来のあなたは大切なパートナーと結婚式を挙げ、家族になりました」。あのころの自分は生きる価値がないと将来を悲観していた。でもこうして、かけがえのない伴侶と出会うことができた。あなたの周りに理解してくれる人は必ずいる。人生を幸せに生きていってほしい-。謝辞は、かつての自分と同じように苦しんでいる中高校生らへのこんなメッセージでもあった。
民法などは2人が実現を求めている同性婚を認めておらず、「パートナーシップ宣誓制度」も長崎県内では大村市と長崎市しか導入していない。性的少数者への社会の偏見はまだ根強く、2人が今春、導入自治体の大村市に引っ越す際も、賃貸物件を探しに訪ねた不動産屋の一つでは冷たくあしらわれた。
今、慶太は大村初の地域おこし協力隊員として働き、裕太郎も新たなステップに挑戦中だ。生きづらさを抱えてきたが、あるがまま、自分らしく生きていこうと心に決めている。満面の笑みで2人はこう答えた。「今はめっちゃ、幸せです」と。