校門のそばにたたずむ石碑には、14度の全国制覇をはじめ、歴代のサッカー部OBが成し遂げた数々の偉業が刻まれている。サッカーボールをモチーフとしたこの石碑に、令和になって初めて新たな文字が彫られた。
「全国第3位・令和5年度全国高校総合体育大会」
昨夏のインターハイ。国見高は優勝した2004年大会以来、19年ぶりに全国4強に名を連ねた。際立ったのは、PK負けした準決勝まで全5試合を無失点で切り抜けた堅守。4強のうち、無失点で大会を終えたのは国見だけ。北の大地に青黄の旋風を巻き起こした。
この堅守を支えたのが主将のDF平田大耀だった。最後方から的確な位置取りを指示し、冷静にボールを奪い取る。攻撃のスイッチを入れる縦パスでも出色のキャプテンシーを発揮した。
「試合を積み重ねるたびにチームも自分も成長していく。そんな感覚を肌で感じた大会だった。キャプテンをやってきて良かった」
快進撃から半年。平田は懐かしそうに、夏の思い出と高校3年間を振り返った。
二つ上の兄を追って、福岡から越境入学。中学時に目立った実績はなく、木藤健太監督が抱いた当初のイメージは「陽気でやんちゃ」だ。
ピッチ内でも年上選手に果敢に向かっていき、言うべき時はびしっと要求した。身長176センチと決して大柄ではない平田が、早くから守備の統率役を任せられた背景には、そんな物おじしない性格があった。
2年時の冬の全国選手権は、開幕1週間前に右脚を肉離れしながらも下級生で唯一、全3試合にフル出場。新チームの主将を任されるのは自然な流れだった。
それでも、当初は「タレントぞろいだった先輩たちがごっそり抜けて、危機感しかなかった」。重圧から仲間にきつく当たりすぎた日もあった。自らの振る舞いを見つめ直し、仲間と本音をぶつけ合った。そんな日々を繰り返したからこそ「谷間の世代」と言われていたチームが、大きな成果を上げるまでに成長できたと今は分かる。
次は大学で、そしてプロで。名門の歴史に名を刻んだ誇りを胸に、これからのサッカー人生を歩んでいく。