五島の母、亡き子のカネミ油症認定を長崎県に申請   50年の思い悩み

2024/02/17 [10:12] 公開

2018年の本紙取材で油症の次世代被害について語る岩村さん=五島市奈留町

2018年の本紙取材で油症の次世代被害について語る岩村さん=五島市奈留町

  • 2018年の本紙取材で油症の次世代被害について語る岩村さん=五島市奈留町
  • 生後間もない満広ちゃんのお宮参りの写真。岩村さん(右)と、満広ちゃんを抱く親族=1973年、五島市奈留町(岩村さん提供
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 長崎県五島市奈留町のカネミ油症患者、岩村定子さん(74)は16日、約50年前に生後4カ月で亡くなったわが子、満広ちゃんのへその緒のダイオキシン類数値を基に、油症認定するよう代理人を通じて県に申し入れた。死者の認定申請は異例。岩村さんは「子どもを健康に産んであげられなかった原因についてずっと思い悩んできました。検討してもらった内容はそのまま満広の墓前に伝えます」としている。
 岩村さんは、奈留島の美容院に住み込みで働いていた19歳の頃、カネミ倉庫(北九州市)製の汚染米ぬか油を摂取した。4年後に結婚し1973年8月、24歳で出産。だが赤ちゃんは唇が裂け肛門は閉じ、心臓にも異常を抱えており、50日間ほどの入院を余儀なくされた。「医師から説明を受けたとき、本当に自分のことだろうかと思い、信じられなかった」と振り返る。
 満広と名付け、退院後、「周りの子どもと同じようにお祝いしたい」と奈留島の神社に親族とお宮参り。親子の思い出をつくった。同年12月、大切な幼い命の火は消えた。その後、2人の子どもに恵まれたが、満広ちゃんの死は油症が原因ではないかとこれまで考え続けてきた。
 油症の原因物質ダイオキシン類は、母胎から胎盤や母乳を通じ子どもに移行するとの研究報告がある。2013年には全国油症治療研究班(事務局・九州大)に満広ちゃんのへその緒を預け、ダイオキシン類の濃度を調べてもらった。結果は、油症患者の母親から生まれた計14人の子どもと比較しても高い数値が出た。しかし分析例が少ないことなどから、満広ちゃんの障害と油症の原因物質との明確な関連性を見いだすことはできなかったと回答があった。
 油症認定は通常、ダイオキシン類の血中濃度などを基に県が認定の可否を判断するが、岩村さんは今回、亡きわが子の認定を求める書面を作り、支援者で東京の映画監督、稲塚秀孝さん(73)に託した。16日、受け取った県生活衛生課の担当者は「研究班に伝えるが、取り扱いは研究班の判断になる」と述べた。
 稲塚さんは「岩村さんからわが子の死についてじくじたる思いを聞いてきた。県や研究班にくみ取ってもらいたい」と話した。