太平洋戦争末期の1945年6月に起こった佐世保空襲の遺族らでつくる「佐世保空襲犠牲者遺族会」(臼井寛会長)が、3月末で解散することが分かった。会員数の減少や高齢化が理由。同会は佐世保空襲の遺族が集う、唯一の組織だった。
75年11月に結成。当初の会員数は約450人だったが、高齢化や病気療養、介護施設への入居、死去などで減少が続き、本年度は128人になっている。
77年には街頭募金活動も行い、佐世保中央公園内に「鎮魂慰霊平和祈願の塔」を建立。2006年12月、遺族らが寄贈した遺品などを展示する「佐世保空襲資料館」(当時資料室)を、語り部活動などに取り組む「佐世保空襲を語り継ぐ会」とともに旧市立戸尾小に開設、観光客や児童らが訪れている。16年8月には、遺族会が中心となって犠牲者約1200人の名前を刻む「佐世保空襲死没者墓銘碑」を同公園内に建立。毎年6月29日には市が主催する死没者追悼式に参列するなど、活動を続けてきた。
ただ会員の高齢化などが進行。昨年6月29日の定期総会で、解散の意向を伝えた。その後、会員に解散の可否を問うアンケートを実施。70人以上が回答し、全員が解散に同意、反対意見はなかった。後継の役員も見つからず、今年1月に3月末の解散を決めた。
祈願の塔と墓銘碑は市に寄贈。同資料館は、語り継ぐ会が管理・運営していく。死没者追悼式の参列者は、半数を同会の会員が占めている。市は今年は通常通り開くが、来年以降については開催形式などを検討する。
佐世保空襲体験者の臼井会長(90)は取材に「誠に残念で、遺族に申し訳ない気持ちでいっぱい。遺族会の将来を考えて、後継者づくりを早くから始めておけばよかった」と後悔の念を口にした。一方、現在の世界情勢を踏まえ「解散しても反戦・平和を願う気持ちは変わらない」と強調した。
◎佐世保空襲
1945年6月29日未明、米軍のB29爆撃機が佐世保市街地に焼夷(しょうい)弾約千トンを投下。全戸数の約35%にあたる約1万2千戸が全焼し、約6万人が被災。1200人以上が犠牲になった。