異様ないでたちの「モットモ爺(じい)」の声と子どもたちの悲鳴が響く-。長崎市西部の手熊、柿泊両地区に古くから伝わる節分行事「モットモ」。災厄を払い、福を招くといわれる奇祭として知られ、民俗学の研究者は「自由で柔軟性の高い行事」と評価。新型コロナ禍の影響による中止を経て、住民らは4年ぶりの復活に意気込む。
モットモの起源を示す文献などはないが、「日本の節分行事の地域的特色や変遷を理解する上で注目される」として、2015年に国の無形民俗文化財に選択された。
どこよりも早く福を呼び込もうと、手熊は節分の日より1日早い2月2日に、柿泊は同3日に行う。モットモは「年男」「福娘」「モットモ爺」に扮(ふん)した3人組が各地区内の家を訪問。年男は干支(えと)の男性が担当し、福娘は着物姿で顔を白く塗るが、手熊は女装した男性、柿泊では若い女性がそれぞれ務める場合が多い。
奇祭といわれるゆえんの一つがモットモ爺。手熊は、黒や赤などのドーランを顔に塗り、柿泊ではフランケンシュタインなどの仮面をかぶる。
年男が「鬼は外」、福娘が「福は内」と言いながら豆をまいた後、モットモ爺が「もっともー!」と大声を上げて家の中に登場。モットモ爺が足を踏みならしたり、つえで床をたたいたりして子どもを驚かし、子どもが泣くほど、福を呼び込むとされる。
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類似する行事は、近隣の福田本町など西彼杵半島一帯に伝承されてきたが、担い手不足などで途絶えている地域が多い。手熊、柿泊両地区で継承されている要因について、長崎大多文化社会学部の才津祐美子教授(民俗学)は「現代的な仮面を付けるなど、(祭りに)携わる人々が楽しめるようにアップデートしてきたのが長く続いている背景にあるのではないか」と分析する。
そんな奇祭の先行きを懸念する声も。手熊町自治会で20代からモットモ爺役を務めてきた村上憲浩さん(61)は今年、体力が落ちたのを理由に、モットモ爺役を断念した。今後は町内外で引き受けてくれる男性に託すという。
市統計年鑑によると、1955年から2015年にかけて、同町の人口は610人減り、昨年末時点の65歳以上の高齢化率も5割を超す。村上さんは「かつては青年部の行事だったが、青年部のメンバーが減り、今は自治会自体も高齢化が進んでいる」と明かす。
「モットモは福を呼び込む神聖な行事。コロナ前の生活に戻り、良い1年になるように願いを込める」。村上さんは担い手不足に頭を抱えながらも、地域特有の伝統芸能を守り抜く思いに変わりはない。
もうすぐ節分 帰ってくる「モットモ」 長崎・手熊、柿泊地区の奇祭 復活も続く担い手不足
長崎新聞 2024/01/30 [12:03] 公開